景教碑を高野山奥の院に建てたゴードン女史について
ゴードン(1851~1925年)はエリサベツ・アンナ・ゴードンといい、日本に帰化して耶利沙伯・安那・戈登と日本名を付けました。彼女は真言宗の開祖の空海が高野山に密教寺院を開創するのに、中国で盛んに伝道していた景教の影響があると考え、高野山奥の院に1901(明治44)年、中国西安にある景教碑よりやや大きな模刻碑を建てました。石は仙台から移送したものですが、字彫りの出来栄えは西安碑と違い上手くはありません。
彼女の家系には議員や聖職者がいて、その関係から1870年代に比較宗教学者のマックス・ミュラー教授に接して日本に憧れを抱き、1891年に来日。当時は日英関係が盛んで、英国の図書を日比谷図書館他に寄贈し、英国事情を広め日英親善に尽力しました。
1919年にも来日しましたが、思想的に密教に傾斜し、キリスト教から離れて密教の灌頂(かんじょう)を受け、密教信者に転向していきました。これを佐伯好郎は嘆きました。晩年、京都のホテルで死を迎えたといわれ、その墓碑銘が模刻碑の右に置かれています。
私は2001年に、この碑の前面と裏面と側面、墓碑銘を許可を得て拓本しました。その一部を貼り付けしました。全体の拓本や寸法など、詳しくは、拙著改訂新装版『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(イーグレープ発行、アマゾンでも入手可能)に書きました。
◇