相変わらず不安定な気候・・・
寒さがぶり返しています。今年はなかなかできなかったつららも、ご覧の通り。北側の屋根からぶら下がっています。
刺さったら大変! と思っていると、また暖かくなり、屋根の雪もすっかり溶けてしまい、今年は一度も雪落としをしませんでした。周りも溶けて地面が出ています。
「老若男女のパートナーシップが創る農業・農村」
先日参加してきた、利根沼田農業・農村男女共同参画推進講演会での、講師だったある女子大教授の講演のテーマ。
1999年に制定された、男女共同参画社会基本法。これに先立って1975年は国際女性年ということで、一人一人の能力の開発、特に女性の能力の開発に力を入れようと、男女共同参画という理念が国連でも採択され、92年には、日本でも農山漁村の女性に関する中長期ビジョンが打ち出されました。そこから、もはや40年が経過し、じゃあ男女共同参画が目指したものはどんなことだったんだろうか、検証してみる、という興味深い講演でした。
その中で、特に興味深かったのは、「男らしさ」「女らしさ」から「その人らしさ(個性)」を大切に! ということでした。性差を固定的なものと考えず、時代や地域によって変化する柔軟なものと考えることによって、さまざまな可能性が広がる。ジェンダー視点は、身近な生活問題や社会問題に気付くことに役立つ。気付きは、新しい解決策の第一歩、など。また、第一次産業は、家族自営が主であることから大変なことも多いが、お互いを尊重し合い、助け合い、お互いが得てきた情報を持ち帰って補い合って日々を送ることから、最も豊かな人生が送れる環境でもあると言われ、自分たちの暮らしを見直した1日でした。
「パウロという人間」 先日の夕礼拝より
「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」(ローマ1:1)
生年月日は不明だが、イエス様と同年代を生きていたといわれているパウロ。裕福な家庭に育ち、パリサイ人として俗世間から分離され、人間として徹底的に聖い生活を送り、徹底的にイエス様と敵対していたそんなパウロが、ダマスコの途上でイエス様の愛によって主の復活の権威に触れて、クリスチャンに変えられた、という話。
その後、人々と離れて3年の間砂漠で過ごし、自分自身を見つめ直した。それからエルサレムの教会に行き、そこでたくさんのクリスチャンとの交わりを経験し、こうして自分はまさに、神の福音のために選び分けられ、使徒として召され、キリスト・イエスのしもべであるという自己認識、誰が何と言おうと、徹底してこうした認識を貫いて歩んでいったということでした。
自分は何であるかという自己認識、自分自身を掘り下げていくということの重要さ、そして気付きの大切さを感じました。またこうしたことを伝えていくことの大切さも強く感じました。
『ギリシャ語の響き』
片品村伝道所の渡辺俊彦牧師が最近出版された本です(発行元:イーグレープ)。その中から。
「権威」
私たちは権威という言葉の響きにどのような感じを持つでしょうか。ある人は拒否感を持ち、そこまではいかなくとも抵抗感を持つ人も少なくないのではないでしょうか。
幾つかの日本語の辞書で調べてみると「他人を服従させ、強制させるような威力」と「その道の第一人者」の二つに要約できます。このような意味は英語の「authority」から来ています。そして、人々が感じる拒否感や抵抗感は、前者の意味合いが強いということが分かります。
新約聖書において権威は「エクスーシア」です。この言葉は「ある行為を行う自由や能力が許されている」の意味です。また「合法的である」という意味も含んでいます。新約聖書の中では、この言葉が神の絶対的な主権と自由な力の発動などを表す意味になったのです。
例えば、「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28:18)などは代表的な聖句といえましょう。あるいは「それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります」(Ⅰコリント15:24)とあります。神の支配が世界の隅々にまで及ぶことを表しています。
神の権威は神の被造物に対して絶対的な自由を持っているということです。しかし、もう一つの側面があります。それは、使徒の権威ということです。
「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった」(マルコ3:14、15)とあります。イエス様は、弟子たちに「使徒職としての権威」を授けられたのです。
それは、「伝道の権威」「悪霊を追い出す権威」です。そして、パウロは「権威」は神から委ねられたものであることを強調します。権威は、人を支配するためのものではなく、「神の絶対的権威」「キリストの救いの権威」「神の国をもたらす権威」「教会に委ねられた権威」です。これらは、究極的に神の栄光を表します。
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星野敦子(ほしの・あつこ)
1955年栃木県宇都宮市生まれ。父の転勤により、東京、山形を経て再び東京へ。最終的には吉祥寺に落ち着く。趣味のスキーが縁で、夫と知り合い、83年に群馬県片品村に嫁ぐ。夫が農家なので、全くの未経験だったが、一緒に農業を始める。義父からの経営委譲をきっかけに、それまでの出荷型の農業から、直売型に転換し、87年頃から、リンゴ狩り直売を始め、約10年かけて農地を約8000坪に集約し、その中に94年には農家民宿、2000年には農家レストランを建設。4年前からは、レストランの料理も担当。
2005年、東京の上馬キリスト教会の渡辺牧師により、受洗。夫もクリスチャン。上馬キリスト教会片品伝道所として、現在に至る。