希望
もうすっかり春ですよね。民宿の玄関には、冬のお客様用に、雪かき用のスコップと車の屋根の雪落とし、それに庭で遊ぶ用のそりとかんじき。
いつでも自由に使えるようにと準備しておくのですが、この冬はスコップを1~2回使っただけで、他はとうとう一度も使わずじまい。なんだかこうしてそろえておくのも、場違いのような気候でした。
3月に入って、早々に片付けてしまいました。
が、そんなことを言っていると、また雪が積もったり、寒くなったりと、本当に落ち着かないのが3月。スパイクタイヤを履き替えていいものやら、悪いものやらと悩む毎日です。
でもさすがに暖かくなりました。
そこで、みのりの庭の春を捜してみると・・・いました。ふきのとう。秋に植えたタマネギも雪の下ですくすくと育っていました。春が来ました。芽吹きの春です。命に勇気と希望の湧く季節となりました。
また、毎日毎日悲しい出来事の報道が続いています。
私たちは、人生最大の危機といわれている死に向き合うとき、絶望、喪失感、虚無感、不条理を感じてしまいます。そんなとき、「生きる力」を喪失してしまう方が少なくありません。その失った「生きる力」を取り戻すためには、「希望」が大切であると人々はいいます。
その「希望」を見いだすためには、「~にも関わらず」という思考の転換が必要だというのです。しかし、これは状況をどう受容するかが問われます。また、超越した存在あるいは他者との関係性が重要だともいいます。しかし、これもまた、関係性の質に左右されてしまいます。いずれも、希望の土台が不安定ではないでしょうか。
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」(Ⅰペテロ1:3)
渡辺俊彦著『ギリシャ語の響き』より
私たちも、上馬キリスト教会片品村伝道所として、今年はどんなことができるだろうかと考え、まず週報を民宿のフロントや、レストランに置いてみることにしました。
「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある」(ローマ10:8)
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