「フィロセウ行きのバスはこっちだぞ、乗れー」
首都カリエの中心広場には、各修道院を結ぶバスが数台止まっていた。
バスの周りには、各地から来た修道士、巡礼者たちが「これはどこ行きですか」と言う声があちらこちらで聞こえ、賑わいが感じられたが、慌ただしさは感じられなかった。ここが、アトス(ギリシャ人)の特徴なのかもしれない。
カリエからの各修道院行きのバスは、ダフニ港から来るバスの乗客を待って出発するため、昼間の広場には巡礼者が多く集まり、いろいろな情報交換の場にもなる。やはり、話を聞くと今日はフィロセウ修道院で聖コスマの祭日に当たるため、徹夜祷があると口々で話していた。
数分して大きなバスが到着し、各修道院行きのバスに巡礼者が乗り換えた。2台分がフィロセウに行くバスとなり、多くの巡礼者が訪れることが予想できた。
バスが出発し、エーゲ海を見下ろしながら下り坂が続く。しばらく進むと目の前は大海原。すれすれを走るまさに海岸通りというべき道に降り立つと、その横目には広大な畑を有し、海に向かって悠然と立つイヴィロン修道院が見える。
しばらくエーゲ海と修道院の間を走るバスの中は、あまりの光景に左右にキョロキョロと目配せをする巡礼者がほとんどで、自分もまさにそうだった。
その後、バスは登りのきつい山道になる。ゴロゴロした石が土道に無数に散らばり、そこに乗り上げるタイヤの間に入り、一度体は浮いてドスンとお尻が椅子に押し付けられる。さらにくねくねした道に、体は左右に振られる。
カリエから30分の山間にある修道院であると聞いていたが、次第に森になり、そこを抜けると一本道の直線、その先に、その修道院は見えた。20ある大きな修道院の一つ、フィロセウ修道院である。
修道院へ着いたら初めにやることは、受付(アルフォンダリキ)を目指すことだ。階段を3階分上がり受付に到着。すると、そこにはすでに多くの巡礼者たちが廊下にまでベッドを並べ、休んでいた。中にはソファー、地べたに布を敷いて寝ている者もいる。
修道士は「こんな状況で、部屋は確保できません」と、話には聞いていたが大祭日の人の集まりようは、やはり半端ではなかった。次第に「この受付を寝床にします」と修道士は言い、優先的に部屋を与えられたが、6人の修道士と共同で、しかも「あなたがたは家族なので、2人で一つのベッドを使用してください」という成人男性2人への無茶ぶり付きだった。
「さすがに照れくさい」「眠れない」などなど、頭をよぎったが、徹夜なので眠る必要がないのか、という考えも湧いた。夜中の話は後述するが、実際に祈りの最中に戻ってきた修道士はほとんどいなかったのである。
撮影許可書を手に修道院内を散策していると、厨房へたどり着いた。夜中は撮りやすいという情報を得た。さらに深夜3時ごろに火を使うので、その時に来てください、と言われた。そこで見た料理長は何とも写真好きのようで、撮ってほしそうにこちらをチラチラ見ている。とても協力的な修道士たちだった。
夕方になり少しずつ涼しくなってきた。するとあのシマンドロがまた鳴り響く。いよいよ始まりの合図、美しく漆黒のラーソ(修道服)を身にまとった修道士たちが居室を出て、中庭をつたい聖堂前に集まり出した。
しかしながら、祈りは1時間を過ぎたあたりで終了。食事となった。インゲンにタコをトマトベースで煮込んだ、とてもおいしいものだった。あの節食の料理とは段違いのうまさだ。
食後は、修道士や巡礼者が聖堂の周りや修道院の外で、なんだかのんびり話していたり、物思いにふけっていたり、思い思いの時間となる。ある巡礼者は修道士たちのところへ行き、何か相談をしているようだった。また修道士同士で語らいを続ける者もいる。
修道士たちにとっては、巡礼者たちとのこの共有の時間に情報の交換や自分の話、家族の話、神に仕える者の話などをし、現実とつながる時間となるのだと感じた。修道士たちはこの時間をとても大切にし、夏などの時期は、日がかなり長いので、暮れるまで語らいが続くこともあるのだという。
夜9時ごろ、またシマンドロが鳴り響く。普段は、翌3時ごろになるが、これがいわゆる徹夜祷の始まりだ。
辺りは闇に変わり始めた。
聖堂には、ロウソクの灯だけ。なんとか足元に目を凝らし、イコンに接吻する。徐々に修道士たちが定位置に着き、声を合わせ始めた。修道士の数に圧倒されながら、巡礼者の数も相当数で、大祭日の様相が見えてきた。
次回予告(6月25日配信予定)
徹夜祷が始まり、夜が明けるまで修道士たち、巡礼者たちも祈ります。
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