フィロセウ修道院での徹夜の祈りを終え、時刻は午前8時過ぎ。荷物をまとめた。カリエ行きのバスが準備され、巡礼者たちはそれを目指した。この時、巡礼者たちのほとんどが、手を胸に当て、われわれに会釈をしてくれた。握手をしてくる者もいた。
共に祈り、朝を迎えた一体感なのだろうか。お疲れ様のあいさつなのか。共にこの瞬間を立ち会え、間違いなく神を近くに感じた確信からか、彼らの瞳は澄みきり、敬意や平和をそこから感じることができた。
到底、今まさに起きている人と人とが争う感情なんぞ、生まれることが信じられない光景だ。
再びバスに乗り、カリエへ。カリエの広場で昼過ぎにバスが集まるので、それを待つ。次に目指すは、アトス内最古の修道院メギスティス・ラヴラ修道院(以降、ラヴラ修道院)である。
村上春樹の『雨天炎天』にも登場し、過酷な日々がつづられている有名な修道院である。歴史は、960年を過ぎたあたり、聖アサナシオスがアトス山から流れる豊かな水を見つけ出し、共同居住型施設を建設したのが始まりだとされる。
聖アサナシオスは聖人として今日も崇拝されている。修道院の近くにはアサナシオスの泉があり、湧き水が出ている。聖堂も近くに備わっていて、定期的にそこで祈りが行われている。
カリエのカフェで少しお茶を飲み、徹夜明けの休息。この時飲んだコーヒーがとてもうまかった。久しぶりに、ホッと現実に戻った感覚だった。このカリエは、巡礼者にとっても少し落ち着ける場となっている。その後、広場にあるバスに乗り込んだ。
半島の突端に存在するラヴラ修道院へは、1時間程度、恐ろしいほど崖ギリギリのクネクネ道に、湧き水が横断する道を行く。雨が多い日は水量が多く渡れないらしく、恐ろしい道である。
知らなければここでの運転は無理だと感じる、急勾配の坂道、ガタガタとしたダンシングロード。しかしながら、ちょっと左を見ると、息をのむほどの大絶景が広がる。遠くはるかにトルコを感じ、乾燥した海の青と空の青、目に映る全てが青の美しい世界を横目に、いよいよ修道院が見えてくる。
その修道院の先にも、エーゲ海の青が当然のごとく含まれていた。あらためて、ここの景色を撮りに来ることができたといううれしさを感じる瞬間でもあった。
修道院へ到着後、いつものように受付を目指し、これまで通り宿帳に記帳をする。とても空気が澄んでおり、逃げ場のない照りつく太陽の強さ、緑の匂い、海が近くかすかに耳に感じる波の音、空もどこまでも広く青く、距離感を失う。
夏休みに田舎へ来た感覚を思い出した。時間もゆっくり刻み、心の落ち着きを感じ、何も考えずのんびりとした時を過ごす。東京という自分のホームグラウンドをすっかり忘れた、無の気持ちになっていたのを今でも思い出す。
ここへ来て初めて聞いたのだが、父はこのラヴラ修道院へはこれまでの20年以上の研究の中で一番多く訪れ、長い時で半年間滞在していたとのことである。
半年も家を空けていたのだと思うと、研究熱心ともいうべきだが、母もよく許したなとか、仕事は大丈夫かなど、家族としていろいろな問題がありそうだなと、子としては感じる事態である。
通い続けたせいか、ここへ来た父は何か第2の故郷、ホームとでもいうべきか、修道士は皆知り合いで、会う修道士、会う修道士が「久しぶり」「よく来ましたね」などと近寄ってあいさつをしてくるのだ。
混じって、私もあいさつをすると、息子も洗礼を受けているということに「素晴らしい」「ベリーナイス」と心の底から歓迎され、笑顔で迎えてくれたのだ。
個室に通され、荷物を置く。その後、少し修道院の中と周辺を散策した。修道院の周りには、のんびりと海を見るためのテラスが用意され、巡礼者たちも静かに時を過ごす。馬も放たれ、とても気持ちよさそうだ。
少し高台には広大な敷地に畑、オリーブの木が、延々と生えている。エーゲ海の大海原を目の前に、自然の恵みを楽しみながら収穫できる格別な時間を過ごせるのであろう。
主聖堂は典型的な十字型平面造りに、天空を表すためアトスレッドといわれる赤を外壁の塗装に用い、空とのコントラストがとても印象的だ。
中は金の装飾が美しく、地面は大理石、壁中に埋め尽くされたイコンからも、歴史を感じ、由緒ある聖堂であると感じる。ふと見上げると、天国をかたどる天蓋はイエス・キリストが眼差しを向けている。
昼過ぎの前堂は、ステンドグラスの光が無数に伸び、フレスコ画を照らし、そこへ徐々に巡礼者たちも集まり出す。
聖堂の前には必ず、聖水所とトラペザが配されているが、壁面にフレスコ画が大きく描かれ、長く雨水や雪にも耐えてきた、歴史を感じる重厚感のある造りであった。
門の横には、キミティリオンと呼ばれる納骨堂がある。これはどこの修道院でもそうだが、亡くなった修道士たちを埋葬している。
一度土葬をするが、数年後に掘り起こされ、きれいに骨だけにするそうだ。彼らは、キリストが一度地獄に下って、そこで死を滅ぼして復活したことから、自らも天国で、家族や親しき者たちと共に住まうことを確信している。
また、今いる修道士や巡礼者もいつでも訪れることのできる場所にあり、そこでそれぞれがお祈りをし、いつでも会える場所として開放されているのである。
日が少し傾き始めた。気温も徐々に下がってきている。
あのシマンドロがまた鳴り響く。場所は違えども、この修道院も日々の祈りが始まる。
神に仕える修道士たちが集まり出した。
天国なのか、これまでの修道院よりもはるか遠くに感じる。
見たことのない絶景、時代をさかのぼったのかと錯覚もする。
現実感を失った。
何もかもが美しい場所だった。
次回予告(8月6日配信予定)
このメギスティス・ラヴラ修道院にて、今後の旅を左右するM司祭と出会います。そして、父が司祭として、聖地を訪れる巡礼者たちに祝福を与える瞬間をお伝えします。ぜひお楽しみに。
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