2016年10月初旬、私は首都ソフィアに降り立った。
新企画取材のために訪れたのだが、私がアトスの取材をしていることから、2日ほど、ブルガリア正教会の聖堂の取材もアテンド付きで周ることができた。これまでの聖山アトス巡礼紀行の番外編として、同じ正教会であるブルガリアを含め、ブルガリア正教会の主に聖堂の紹介を、写真を通してさせていただければと思う。
今回訪れたのは、首都ソフィア、プロブディフ、温泉地のサンダンスキであるが、その中から、首都ソフィアの聖堂、アレクサンドルネフスキー大聖堂、世界遺産のボヤナ教会、そしてソフィアから数時間、こちらも世界遺産で有名なリラ修道院についてご紹介したい。
ブルガリアといえば、日本人にとって最も身近なのがヨーグルト。スーパーにかなりの種類が陳列されている。食事で有名なのは、ヨーグルトスープ。これは、ヨーグルトを水で薄め、にんにく、キュウリを細く切り入れた冷製のスープである。味はなかなかおいしい。
その他にバラの国としても有名で、街の至る所でバラが植えられている。ローズオイルを売るお店も点在している。
正教徒は人口のおよそ8割5分程度のようであり、その他はプロテスタント、カトリック、1割程度はイスラム教徒で構成されているようである。
歴史は、古くトラキア人の存在が確認されている。多くの金を使った生活品が出土されている。東ローマ帝国時代を経て、オスマントルコに侵略され、その後ロシアの保護下に置かれた。1946年からつい30年前まで、ブルガリア共産党による一党独裁体制の社会主義国であった。
私が出発前から、その侵略の歴史や社会主義国として、今のブルガリアおよび正教会がその時代をどのように乗り越え、変化や維持を続け、今日に至ったのかということは、大いに気になるものだった。
日本からおよそ15時間、首都ソフィアに到着する。街並みは、石畳に古くから残る建物に改築を重ね、歴史を感じる。社会主義時代の建物がかなり多く、街のはずれには、巨大で異様な団地の建物が広大な敷地に建ち並ぶ。
この時代にこのような建物を購入した者は、やはり建て替えや改修が困難なようで、現在はどうしようもないというのが現状のようだ。さらに先には、ゴミが散乱する空き地が見えた。これは、いわゆるジプシーが占拠して住んでいる街のようで、住民にとっても不安らしく、異様な光景を目の当たりにし、決して近づくなかれという注意を受けた。
都心には、大きな共産党時代の建物が残り、今は大統領府や国の機関が入り、行政の中心になっている。また、ヴィトシャ山が雄大に見え、その麓(ふもと)は、かつて共産党員の豪華な邸宅が建ち並び、今でも高級住宅街となっているようだ。
レストランで面白いものを見つけたのだが、メニューには必ず、値段と提供するグラム数が記載されている。これは社会主義の名残のようで、お店に義務付けられているという。偽りの提供をしたら罰せられるとのことだ。
大統領府の東側には、アレクサンドルネフスキー大聖堂が鎮座する。
街のシンボル的な存在であり、観光客も多く、またブルガリア人も多くここを訪れ、祈りをささげている。この聖堂に関しては、次回詳しく紹介させていただく。
その横には赤レンガの美しいソフィア教会がある。
ブルガリアで最も古い教会の1つで、かつては墓地だったため、地下に複数のレンガ造りの墳墓やモザイクの一部が発掘調査で見つかっている。ガラス張りになっており、地下の様子を見ることができる。16世紀にはモスクに改造され、壁画は削られた。イスラムへの改宗を硬く拒否した金細工職人ゲオルギーは、この教会の前で火あぶりの刑に処されたという伝説が残る。
大統領府の裏には、聖ゲオギルディー教会が、囲まれるように建てられている。
6世紀にさかのぼるフレスコ画や古代都市の道、円形型の建物も含めて、東方正教会の建築、美術文化を今に伝える貴重なものとなっている。撮影禁止であるが、今でも礼拝は続き、ビザンチン聖歌を聞くことができる。
道を1本挟むと、聖ネデリャ教会が見えてくる。
この聖堂は、長い間破壊の歴史を持ち、特に社会主義時代には爆発事件が起こり、聖堂が破壊され、150人を超える人命が奪われたとのことである。
このように、ブルガリア正教会は、国の遠い昔から侵略の歴史を繰り返し、つい30年前の社会情勢に相対しながらも、厳しい弾圧に耐えながら守り続けられ、今日に至っている。「ブルガリア人は我慢強いです」とブルガリア人女性が言っていた。
誇り高きトラキア人の歴史、侵略に次ぐ侵略の末、領土縮小を余儀なくされたという感情、社会主義時代の教育や風土、そして崩壊。いきなり明日から民主化という流れを受け入れられない世代もいるようで、街全体はこの30年を境に、大きく二分されているのではないかと感じた。最近では、難民の受け入れもあり、恐怖との戦いもあるようだ。
これだけの歴史を繰り返し、今でもブルガリア国内には、8割5分の正教徒、120の修道院に2千人の修道士、同数の修道女が存在する。
ソ連が解体し、社会主義が崩壊するまでは、正教会と共産党は互いに共存を図り、支え合ってきたようだ。正教の祈りとは、人のためにあるということ。社会の変化も常に受け入れ、共存を図ってきたのだと感じた。あの我慢強いという女性の言葉が象徴しているように思えた。
そしてこの国もやはり、私がオーソドックスだというと、ギリシャ人と同じように歓迎してくれた。
次回予告(11月12日配信予定)
次回はソフィアのシンボルでもあるアレクサンドルネフスキー大聖堂をご紹介します。
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