ケリの裏へ回ると、さらに数軒のケリが岩にへばりつくように建てられていた。そして、その向こうに、大きな岩山が。山頂に大きな雲がかかり、風と共に次第に現れてきた。
「アトス山だ」
強風と共に尾根に沿って雲が流れていく。が、次第に山頂の雲は停滞し広がり始めた。傘のかかるような雲はアトス山では初めて目にした。
徐々に日が上がり、空も、海も青くまぶしく映り、聖堂内では聖体礼儀になる。M司祭と共に、父も聖杯を掲げた。そして、I修道士、F修道士、巡礼者たちも待ち望む領聖の時となった。
夜中から始まった聖歌と共に、夜が明け、清々しい朝を迎える。午前3時から続いた祈りは8時すぎに滞りなく終わり、すでに外はギラギラと照りつける太陽が聖堂を照らしていた。
これまでも引き継がれたケリでの祈りは、時や季節を感じながら、きっといつの日までも続くのである。誰を思い、何を思い、彼は祈りを続けるのか。
この日は特に、この情景と聖堂を行ったり来たりし、考えていたことを思い出す。
聖堂内でぜひ記念撮影をと、I修道士が勧めてくれた。こんなことも滅多にないが、ちゃんと理由や意味を共有すれば写真に応えてくれるということが分かった瞬間でもある。
そして、I修道士は聖堂の外の横にある石でできたテーブルと椅子の方へと案内してくれた。「どうぞ、お座りください。朝食を準備します」と、その席は、視界一面のエーゲ海、すなわちオーシャンビューの特等席である。
まるで、リゾートホテルに来たのかと勘違いするほどの眺めである。ここはきっと楽園だ。
温かいお茶に、出されたものは乾燥させたフルーツ、糖飯のみ。これを皆で頂き、のんびりと語らいの時間になるのである。
その中で、この地で雨の日も風の日も雪の日も、ただただ1人、海に面したこの厳しいケリで生涯を閉じることを決意したI修道士は言った。
「死は決して恐れていないのです。死は天国の通り道にすぎない。永眠すれば、神の国で永遠の命を得ることができるのです」
彼の目は美しく、そして穏やかな表情をして、海を背に語ってくれた。
時がたち、ラヴラ修道院へ帰る時間になった。荷物をまとめ、足早にM司祭とF修道士は車に乗り込んだ。
ラヴラ修道院に着き、M司祭はわれわれを誰もいないトラペザ(食堂)へと案内してくれた。「お腹空いていますか。軽く食べてください」と、F修道士が調理場から朝の残りを提供してくれた。
誰もいないトラペザでの食事は、何か特別感を感じた。撮影も快諾してくれ、食事や壁画のイコン、食堂内も写真に収めた。じっくり見れる機会がそうないだけに、イコンを見つめ息をのむ時間となった。
このケリでの祈りを体験させていただき、これまで感じたことのない、祈りという、そのもの自体を考えさせられた。祈るという行為は一体なんなのか、そして言葉、行動、情景、全てのものからたくさんのキーワードを頂いたように思う。ここでの経験は自分にとって、この地の祈りというものを考える上でとても貴重な経験であったことは、この時はまだ分かり得なかった。
帰国後のある時、写真の整理をし、今後の自分がこの地の写真を撮り、自分を濾(こ)して人に伝える、発表するとしたときに、どのような切り口で探るか撮るかということを深く考えさせられていることに気付いた。
この時、日本では1回目のアトスの展示が決まっており、会期が迫っていた。今後の続編やテーマの深化を考える上で、大変貴重になった2回目のアトス訪問となったということに気付いた。次につなげなくては、という気持ちが起こった瞬間でもあった。
ケリでの体験を経た翌日早朝、ラヴラ修道院を出る前にバスを待っていると、遠くエーゲ海に真ん丸の朝日が昇り始めた。
とても清々しい朝だったことを思い出す。
次回予告(4月15日配信予定)
今回の訪問の目的の1つでもあった、シモノスペトラ修道院を目指します。
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