2015年6月、私は2度目のアトスを訪れた。個展を控え、風景的な写真を収める目的があったが、前回いろいろと手配してくれたN修道士やM司祭にお礼と写真を渡すためや、今後のために新たな取材地を模索する目的もあった。その中で、特に船から見た、海抜300メートルの地点に岩を切り立ち、堂々と聳え立つシモノスペトラ修道院は絶景でもあり、絶対に訪れたいと思っていた。
羽田から12時間、今回は全日空でドイツ・ミュンヘンを経由し、そこからテッサロニキへ2時間、ここからは前回同様で、バスに乗り3時間、ようやくウラノーポリに到着。そこで前回も訪れたレストランで食事をし、同じホテルで1泊、翌朝アトスの入国管理事務所へ行き、入山許可書を受け取る。乗船券を購入し、9時45分発のボートに乗り、いよいよアトス半島を目指すことになる。
この時期の海はとても穏やかだった。天候も清々しい青晴れ、空気も乾燥し、とても心地よくボートから半島に次々と姿を現す修道院を携帯カメラに収めていた巡礼者が数多くいた。やがて海鳥も迎えてくれ、船のデッキは和やかな時間となる。
2時間強、順調にダフニ港へ到着し、大きなバスに乗り、首都カリエを目指す。暖かくなるこの時期から、徐々に巡礼者は増え、年間数十万人もの人が訪れるのである。カリエのレストランで昼食をとり、昼過ぎのミニバスに乗り込み、ひとまず知り合いの多い、メギスティス・ラヴラ修道院を目指した。日本を出ておよそ2日、ようやくアトスの修道院へ着くのである。
晩の祈りが始まる。シマンドロの木を叩く音が、修道院内に響き渡る。不思議と、また戻ってきた、なにか懐かしさを感じた。聖堂の周りは修道士や巡礼者たちがあいさつをし、和やかに聖堂内へ案内される。
すると、私とあまり年も変わらないあのM司祭(第13回参照)が、われわれを見つけるやいなや走って駆け寄り、抱きしめて、「よくいらっしゃいました」と歓迎してくれた。「ファーザー」「ニコライ」と呼ぶ声は、なんとも優しく、柔らかく、そして美しささえ感じるのである。
昨年来たときは、パン工房や読み書きを教えてくれていたのが印象的であった。司祭という立場でありながら、誰よりも率先して動き、先頭に立ち働く姿に感銘を受けていたのも事実。今回の再会は、私にとっても幸せな時間であった。
食事が終わり、もう1つの聖堂で再び、父の祈りの時間が始まった。この聖堂はM司祭が管理しているため、父がアトスに来たときは、司祭である父に任され、巡礼者のためにお祈りをする時間を許されているのである。(しかしながら、2016年9月に4度目に訪れた際は、この聖堂を管理する司祭が別の司祭に変わったため、私が実際に見ることができたのは、3回目の冬の訪問の時が最後となったのだ)
祈りの後、M司祭が再び、われわれに近寄ってきた。「明日早朝3時に集合しましょう。近くのケリ(修道小屋)に巡回し、お祈りをしましょう」と。父が半年間いたときは、頻繁にこのようなことがあったらしいが、司祭不在のケリではお祈りができないため、ケリを管轄する大きな修道院の司祭が出向き、朝の祈りをするのが基本となっているようで、この日の当番がM司祭であったので「一緒に行きましょう」と声を掛けてくれたのだ。
どこへ行くかも分からず、少し不安もあったが、それ以上に期待の方が大きかった。どのような場所にケリは建ち、どのような人がいて、撮影できるのか。これまでない期待と不安を抱えながら、床に就いた。
夜中の3時。目覚ましをセットし、起きた。辺りは何も見えない暗闇。美しく、尖った三日月がとても印象的であった。その下から、体のそれほど大きくないM司祭が大きなザックを背負い、現れた。
「おはようございます。それでは参りましょう」
次回予告(3月18日配信予定)
夜中の3時、M司祭ともう1人の修道士、父、私の4人で車に乗り込み、暗闇の中、ケリを目指します。そこで見たものとは・・・。
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