8時すぎ、ようやく日が昇り、空が少し明るくなり始めた。しかしながら、昨日から天候不順は続き、徐々に雲は厚くなり、空や街はグレー色に染まる。クトゥルムシウー修道院を出て、カリエの街まで歩いて10分。いつものカフェで温かいコーヒーを飲み、昼過ぎに出るバスを待つことにした。昨日同様、霧に包まれたカリエは人も少なく、凍てつく寒さに濡れた地面。猫たちも壁沿いを濡れるのを嫌うかのように素早く歩いていた。
12時すぎになってもダフニ港からのバスが一向に来なかった。人も来ない。寒さしのぎで数時間カフェにいると、徐々にうわさが流れ始めた。今日はウラノーポリからの船が出なかったというのだ。ということは、今日帰る予定であった人たちもアトスを出られないということになり、足止めを食らうことになるということだ。
カリエでは、巡礼者たちが肩を落とし、座り込んだり、とりあえずカフェに入り、お茶をしたりしながら、今日泊まる修道院を考えていた。幸い、カリエの街から数分の所に、昨晩泊まったクトゥルムシウーとセントアンドレアスというスキテがあり、野宿を強いられることはない。このように冬のアトスは、日程に余裕を持って来ないと痛い目をみることになるのだ。
このような彼らを見ていて、大変だなあ、とのんきに考えていたが、当然バスが来ないということは、カリエから出る各修道院行きのバスもまばらになり、時間には発車せず、人数が10人以上そろわないと発車しないという現実がわれわれを待っていたのだ。
当然このような寒い時期に人も少なければ、同じ場所に行くという人も少なく、何時間たっても、一向にバスが出る気配がなかった。痺れを切らし、われわれはバスをチャーターし、メギスティス・ラヴラ修道院へ向け、出発した。
1時間ほどバスに乗り、ラヴラ修道院に到着した。夏とは人の数が格段に違う。カリエでバス待ちをしていたことから、晩の祈りがすでに終わっており、修道士は急ぎわれわれをトラペザへ誘導してくれ、食事を提供してくれたのだ。
トラペザも異様に寒く、石のテーブルや木の椅子は体全体を冷やす勢いの冷たさであった。冷めたミックスベジタブルのスープに野菜サラダと、ヘルシーな食事だった。
トラペザを出ると、辺りは闇に包まれていた。何も聞こえず、何も見えないほどである。主聖堂とは別の聖堂で祈りが始まった。聖堂内への自然光は一切なく、ロウソクだけの光しか感じられない。聖書に集中する修道士たち、かすかにドームに見えるフレスコを仰ぐ巡礼者たち。
この冬の祈りは、どことなく静かで、五感の一部を失い、いわば自分に入ってくる情報を削ぎ、神と最も向き合える時間なのかもしれない。冬の修行の厳しさというものは、単に寒さの厳しさだけでなく、視覚を失い、情報を削ぎ、ロウソクの光だけに導かれ、神だけを思える時間が増え、自分にとって何をしなくてはならないのか、どうならなければならないのかと自問自答することの時間が増えるということなのかもしれない。
夜が明けて、修道院を散策した。千年以上も続くこのラヴラは静寂に包まれていた。静寂の中に、主聖堂から修道士の声だけが聞こえる。
冬の肌を刺す寒さの中に、かすかに聞こえる彼らの声、静かに目を閉じてみると、どこまでも聞こえそうなほど大きく、強かった。
ふとまた目を開けると、その声は体に染み込んで、今この情景になくてはならない自然の中の1つとして感じられた。
ラヴラの土曜日は、主聖堂の清掃が行われる。門は開けられ、中へ入った。ある修道士が手招きをして案内してくれた。普段は落ち着いて見ることができない、イコンやシャンデリア、聖書の数々。燭台などは一つ一つ丁寧に磨き上げられ、反射が眩しいほどである。床の大理石も輝きを放っていた。
いつもと変わらぬ冬、いつもと変わらぬ土曜日、千年続けられているラヴラの祈りは、時空を超えて今も守り続けられ、実践され続ける。アトス半島の一番東に位置するこの修道院は、不思議なほど静かで穏やかな場所である。ここへ来るといつも現実と未来と過去があやふやな感覚に陥るのは僕だけだろうか。
次回予告(2月18日配信予定)
海岸沿いに建つイヴィロン修道院を訪れます。
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