「聖イヴァンは治癒の神としても有名で、ブルガリア全土から医師がここへ来てお祈りして帰ります」。アテンドの女性が車内で教えてくれたのがすごく印象的であった。
10月初旬、ブルガリア・ソフィアより南へ行ったサンダンスキーという温泉地を後にし、その中間地点(ソフィアより120キロ)にあるリラ修道院を目指していた。
その車中で1通のメールが携帯に届いていたことに気が付いた。
その内容は、地元の友人からで、同級の共通の友人が倒れたとの知らせ。かなり重篤な状態とのことだった。一瞬何が起きたのか、何を返せば良いのか、しばらく何も考えることができなく、ただただ、雄大な景色だけが流れ、見ているようで見えてない、移りゆくだけだった。
今年初冠雪を観測した雄大なリラ山。そこへ向かう、縫うようにクネクネと自然に囲まれた1本道、恐らく何もなければ一層期待を掻き立てる道であろうが、気付くと行き止まり、つまりリラ修道院の入り口に到着していた。
リラ修道院は、リラ川とドルスリャヴィツァ川の間のリラ山の山峡、標高1147メートルに位置する。歴史としては、10世紀前半、イヴァン・リルスキーがリラ山中で断食と祈祷の生涯を送り、今の修道院の近くの洞窟で生活をしていたのが始まりである。
946年に死去し、その後列聖に加えられ、聖人となった。現在の姿は19世紀にほぼ完成し、千年以上も現在まで続いている修道院の僧坊の基礎を築いたのである。中心に聖堂、囲むように修道僧の住居部がある。4階建てでおよそ300の居室が備わり、今はホテルとしても使われている。実際に修道士たちと晩の祈りを共にすることができるようである。
現在修道士は4人ほどのようであり、拝観していると姿を見かけることもある。聖堂の周りの回廊には、見事なフレスコ画が描き埋められ、観光客はしばらく立ち止まり、聖書の場面を思い、感じ取っていた。
死後イヴァンは列聖に加えられ、聖人となった。そして、その残された聖遺物が奇跡を起こし、病人を治癒し、当時の信者たちも信仰を強めたようである。
その後も、ブルガリア全土から医師などもたくさん訪れる場にもなっている。イヴァンの活動と個性が中世の歴史、精神、宗教の世界の形成に及ぼした影響は多大であり、今日もなお偉大なる聖人として、ブルガリア国民にとっても非常に大きな存在となっている。もちろん前回紹介したボヤナ教会のフレスコ画に描かれている。
聖堂に入り、イコノスタスの前に行くと、一瞬強い光が天井のドームの窓から2本突き刺した。観光客を含め、われわれも息を呑み、自然と「オー」という声が出た。
友が病に倒れた。彼には先日お酒をご馳走してもらい、「次は俺が」なんて言って約束したことを最後に、会っていなかったことを思い出した。ひたすら祈った。祈り続けた。そして、イコンへ接吻し、聖堂を後にした。
数週間後、あの時連絡をくれた友人が逐一報告をしてくれている中で、なんと歩行器を使って歩けるくらいまで回復をしたとの連絡が来た。
一度は生死をさまよい、医師も奇跡だと言っているようだ。彼は奇跡を起こしたのだ。さらに、今月中に退院も夢ではないそうだ。
再び、私はリラ山へ行こうと思っている。
4回にわたり、番外編としましてブルガリア巡礼紀行をお送りしましたが、今回で最後となります。ご覧いただきまして、ありがとうございました。
次回からは、聖山アトス巡礼紀行―アトスの修道士と祈り―に戻りまして、再びアトス山での取材をお送りします。
次回予告(12月24日配信予定)
昨年訪れたアトスの降誕祭(クリスマス)のお話です。お楽しみに。
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