メギスティス・ラヴラ修道院を後にし、再び首都カリエに戻った。温かいコーヒを飲みながら、次の目的地をイヴィロン修道院と決めた。実は、この修道院は海岸沿いに建ち、何度となく横を通っていたのだが、今まで1度も訪れたことがなかった。
首都カリエは、半島の中間の峠の中腹辺りに位置し、ラヴラ修道院などがある半島の東突端に向かうためには、1度この海岸沿いまで降りて、半島の形に沿って道が造られているため、誰もが1度目にする修道院なのだ。
カリエの街を出て10分、海岸へ降り立つと、左は大海原、右側には、これまで見たことのないほどの城壁の高さを誇るイヴィロン修道院が目に入る。大絶景にこの真ん中を走るバスの中の巡礼者たちが釘付けになる瞬間である。
修道院と海の間には、大きな畑があり、夏は青と緑に囲まれ、とてもカラフルで美しい光景になる。冬は逆に、畑も茶色で空はグレー、海は・・・というと白波を立て、バスの通る道にも海水が押し寄せ、まるで半島をのみ込むのではないかと思うほど、繰り返し、繰り返し来る波に、恐怖さえ覚えるのである。
寒さは体全体を覆い、吹きすさぶ風に立っているのもやっとであった。猫たちも人を見つけると、近寄り身を潜めるほどの寒さであった。
いつものようにアルフォンダリキで受け付けを済まし、今日泊まる部屋へ案内されたが、この修道院は宿泊施設がしっかりしており、大きな部屋に、そこそこきれいなベッドと布団、窓も備わり、鍵も付いていた。電力や持参したWi-Fiの調子も良かった。また、トイレや温水のシャワー、オーシャンビューのテラス席までも、カリエからもバスで10分ほどということもあり、お薦めできる修道院の1つである。
またこの修道院には、各地さまざまな所に複製され置かれている、元となる大変貴重な生神女のイコンも置かれ、これを目当てに来る巡礼者も多く、主聖堂とは別に安置されている聖堂での祈りも執り行われるのである。(もちろん、撮影禁止)
修道院の周辺を散策した。海の目の前に建つ修道院、挟んで広大な畑を有していたが、裏手にもそれ以上に広大な畑があり、建物を中心に畑に囲まれた造りとなっている。さらに裏手には、アトス山からの豊かな水を引くために水道橋も造られており、歴史を感じるとともに、先人たちの知恵の集大成を感じることのできる場所である。
宿泊棟以外は全体的に古く、所々修復はされているが、タイムスリップしたのか、映画のセットなのかと思うほど、美しさと遠く懐かしさを感じることのできる場所である。
海を見ると、先ほどの波はさらに強く不穏な空気さえ感じた。遠くに見えるスタヴロニキタ修道院もいつ波にのまれてしまうか、そして撮影している自分にもいつ波が降りかかって来るか、そんなことを考えながらもカメラを構えると、あと少し、あと少しという限界を超えてしまいそうになる。
やまぬ冷たい風に手は凍り、やまぬ大粒の雨に服は濡れ、体にその冷たさを感じる。カメラも濡れ始め、体全体が凍えてくるのが分かる。辺りは薄くグレーに染まり、岩場に打ちつける波の音が恐ろしく、胸がソワソワしていたことを今でも思い出す。
この日の翌日、カリエで聞いた話では、やはり船が出なかったようだ。再び冬のアトスの厳しさを感じた。
こうして、われわれは1月6日を迎え、12月24日、1月7日に配信させていただいたシモノスペトラ修道院の降誕祭へと向かったのである。降誕祭が終わり、われわれは徹夜明けでダフニ港を目指し、アトスを出ようとしたが・・・。
船は来なかった。昨日からの天候不順で波が高く危険であると判断されたとのことである。徹夜で撮影に集中していたが、昨晩もきっとイヴィロンにも荒波が打ち寄せていたのだろう。船が出ないことには帰れない。数日前カリエで見た巡礼者たちと同じ境遇に立たされたのだった。
冬のアトスでは、日常の出来事。再びカリエへ戻り、カフェで赤ワインを飲んで徹夜明けの体を休ませた。そこで話し合い、今日も宿泊施設がしっかりしているイヴィロン修道院に泊まることに決め、再び向かった。
この日は、徐々に天候が回復に向かっており、朝の祈りの後に海へ出ると、先日の荒波とは違って、暖かく穏やかで静かな海だった。そこへ昇る朝日に感動した。あの体を突き刺す寒さと乗れなかった船のこと、全てを忘れてしまうほどの美しさに出会えた。「天気も落ち着いているし、今日はきっと船が出るね」。なんだかんだありながら、3度目のアトス訪問を無事に終え、帰国した。
次回予告(3月4日配信予定)
2度目に訪れた晩春のアトスのお話を予定しております。ぜひ、お楽しみください。
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