ラヴラ修道院を早朝出発し、再びアトスの首都カリエに戻った。カリエでは、昼過ぎのバスの出発まで、カフェでコーヒーを飲んで少しのんびりしたり、土産屋を見たり、猫とたわむれたり、また数分のセントアンドレアススキテや、少し下がって海の見える方へと散策し、カメラに収めた。
ダフニからの大きなバスが到着し、それぞれの修道院へ行くバスを聞いたところ、シモノスペトラ行きは存在しなかった。問い合わせるとチャーターでしか行かないと言われ、今回の目的の1つということもあり、75ユーロ支払って向かったのである。本来は、ダフニ港から半島の下の方へ降りる船に乗り、シモノスペトラ修道院を目指す。
しかしながら、海抜300メートルの断崖に位置する当修道院は、下船後に岩山を登ることになるのである。大きな機材を抱えての移動になるため、最近はダフニ港から道も整備され、バスで行けるとの情報を得たため、今回はバスでの訪問とした。
およそ45分、ダフニ港に到着し、いつもとは逆の山を登ることになる。
すると、上り坂へ続く橋の手前にチェーンが掛けられており、そこで車を止めさせられた。警備のような服装で1人の男が現れた。ふと、予約の連絡を入れていないと無情にも車を降ろされ、徒歩で引き返された、あのヴァトべディ修道院の検問を思い出した。私たちの名を確認し、なにやら、警備の男がトランシーバーで話しているのが聞こえる。
「確認が取れません」との回答であった。がしかし、バスの運転手が何やら話をしている。「問題ない。任せとけ」といった顔つきで、交渉に当たってくれた。すると、数分の末、警備の男が浮かぬ表情で首を横にかしげ、言葉に出さない「進め」の合図を出し、チェーンを下ろしたのである。
何だか分からない。とりあえず、予約も取っていないが、なるようになる。これは、長年東南アジアなどで旅を続けた感覚というか、不安もありつつ、何とかなる的なノリで、とりあえず、今の問題を解決できた達成感に満ち溢れていた。(運転手のおかげだが)
バスは、急峻な上り坂を駆け上がり、しばらくすると、エーゲ海の大絶景が目に入る。6月のアトスは、天候も落ち着き、ほぼ晴天。空の青、海も穏やかに青にしまり、本当に青一色になるのである。
コンクリートでの舗装はされていないが、砂利で整備された道をバスは行く。あのラヴラへ行く途中の道のように半島の形に沿ってグングン進むが、何が違うかというと、圧倒的に道の位置する高さが違うのである。少しでも誤った運転をしたら、そのまま何百メートル下へ転落してしまう、スリリングな道なのである。
恐怖と好奇心、シモノスペトラまでもう少しという期待感、いろいろ入り混じり、自分が運転しているかのように肩に力が入り、運転席に前のめりになっていたのである。クネクネと恐怖心に耐えながら、あとはこの運転手を信じながら30分ほど、ついに目の前にシモノスペトラ修道院が現れたのである。
「すげ〜」と、近づくにつれ、その大きさや自然と一体になっている建物、それを造った人間の力、何がなんだか頭の中が興奮状態になっていたことを思い出す。今にも崩れそうな土台に、せり出したバルコニー、高いところが好きな自分にとっては、気持ちが高ぶる建物でもあった。
アトス内では、旅の行程などは思うようにいかないのが当然であり、今回はたまたま成功したが、やはり日程を組むときは、余裕がないと難しいなと考えさせられた出来事であった。バスは停車し、いよいよ車を降りた。
運転手に両手で握手をして、「サンキュー」と言って別れた。彼の強引な押しなしでは、ここまで来られなかったことを思うと、ただただ感謝しかなかった。
アルフォンダリキ(受付)を目指す途中からカメラをバシバシ撮っていた。すると、背の高い修道士が何やら注意したそうにこちらを見ていた。
「怒られるかな〜」と横目に、アルフォンダリキへ。「よく来ましたね、少し休んでください」と別の修道士が歓迎の言葉と、予約を入れていないのに受け入れてくれたという安堵(あんど)感に包まれた。少しして部屋へ通された。ここで初めて、今日の宿が決まったという安心へと変わるのも、アトスの旅の醍醐味(だいごみ)かもしれない。
部屋の周りをカメラをぶら下げ、ウロウロしていると、先ほどの背の高い修道士が近づいてきた。「怒られるっ、怒られるっ!」と思っていると・・・。「私はA修道士です。あなたのお名前を教えてください」と言う。
次回予告(4月29日配信予定)
A修道士が近づいてきて、旅は思いも寄らぬ方向へ・・・。
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