核家族化が進み、夫婦2人だけの世帯が多くなった。高齢になっても仲の良い夫婦の姿はとてもほほ笑ましいものだ。一方で離婚率は30パーセントに及び、定年退職したのち、夫婦間に亀裂が生じ離婚する熟年離婚が増えているという。実に残念なことである。
結婚式では、「死が2人を分かつまで・・・」という言葉を使って、いつまでも愛し合うことを誓い合う。若い頃は「死」を現実に考えることが少ないので「永遠の愛」を誓ったように思うが、「死が2人を分かつまで」は、それほど長い時間ではない。
聖書には、キリストと教会の関係に対比させ、夫が妻を愛するように記されてある。
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」(エペソ5:25)
この戒めは、私たちを愛して十字架にかけられた主が、命を懸けて愛する対象を教えてくださった言葉である。
年齢とともに結婚生活にも変化が現れるものだが、短い人生の最後まで、神様が与えてくださった伴侶を愛し、良い夫婦関係を築くことに心を注ぎたいものだ。それは、当人だけでなく、家族や社会に祝福を引き継ぐことになっていく。
やがて人生の最後まで愛し合う夫婦には、「死が2人を分かつ時」が実際に訪れる。長い年月を共に歩み、互いの良いところも欠点も受け入れ合い、愛し合っている2人であるほど、その別れはつらいものになる。しかし、神様はそのような離別の悲しみも祝福に変えられる。
昨年司式をさせていただいた葬儀でのことだが、奥様に先立たれた高齢の男性は、葬儀の間ずっと涙を流しておられた。昔はとても厳しい父親だったとご子息から伺ったが、その面影は全くない。寂しさが全身からにじみ出ていた。奥様を愛しておられたのだろう。
召された奥様は、若い頃に信仰を持ち、ご家族にその大切さを伝えてきた。しかし、キリスト教に偏見を持っておられたご主人は、ご家族が教会に集うことにずっと厳しく反対されてきたようだ。
出棺時に、ご主人の手を取って祈らせていただくと、ご自分の足りなさから奥様に厳しくしてきたことを大変悔やまれ、にもかかわらず、奥様がいかによく尽くしてくれたかを大粒の涙を流しながら話してくださった。傍らにはお子様方が優しく寄り添っておられた。
高齢となりさまざまな弱さを抱える中、大切な伴侶に先立たれるのは実に悲しいことである。しかし、同時に神様がご主人を愛し、逆境の中に祝福の扉を用意してくださっているひとときでもあった。悲しみを超える天来の慰めがご家族に溢れていた。
寂しさが尽きることはないが、召された奥様の信仰を受け継ぎ、別れのつらさを天国での再会の希望に変えていってくださるだろう。やがて来る再会の日には、歓喜の中で、言い残した感謝の言葉を直接奥様に表されるに違いない。
聖書が示す救いの条件は、神様が下さった福音(イエス・キリスト)に対する個人的な信仰の応答である。しかし同時に、個人に与えられる祝福が、家族、親族、あるいは所属する共同体にまで及ぶことが記されている。
私たちは、主が愛してくださったように、信仰をもって大切な伴侶や家族を愛していきたいものである。神様の導きはさまざまであるが、祝福は身近な家族だけに留まらず、私たちが天に召されたのちも千代に及ぶほどに注がれていく。
「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」(出エジプト20:6)
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16:31)
日本の家族、親族全てに祝福が満ち溢れますように。Bless your home!!
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