未熟さが原因で、テレビ朝日「プレステージ」の生中継レポーターを降板後、別の情報番組のレポーターを勧められても、「レポーター」に大きな恐怖と不安を抱いてしまった私は、オーディションを受ける勇気を出せずに苦しみました。
「レポーターは絶対無理!!」と決めつけ、ただただ逃げていました。そんな中でも、テレビドラマや演芸番組・イベント、また、同じお笑い班で、物まねタレントをしていた「広川ひかる」ちゃん(現ダチョウ倶楽部・上島竜兵夫人)と共に、「桑野信義」(ラッツ&スター)さんのラジオ番組のアシスタントなど、いろいろなお仕事をさせていただき、良い評価を頂くこともあったので、タレントとしての自信の全てを失うに至らなかったのは救いでした。
当時の担当マネージャーは、かなり癖のある人物で、理不尽な事や無茶な事をさせられたりで、よく愚痴ったりしましたが、今思い返せば、頑張ってたくさんのお仕事を取って来てくれていたんだな・・・と反省し、今更ながらですが感謝しています(^^;)。
そして、レポーター降板の傷もかなり癒え、しばらくたった頃、「ホリプロ・お笑いライブ」の本番後・・・思いもかけないお仕事が飛び込んで来たのです! それは、「笑福亭鶴光」師匠がパーソナリティーを務めていた、ニッポン放送の人気長寿番組「鶴光の噂のゴールデンアワー」の外回り“レポーター”の仕事でした。しかも、私が最も恐れていた“生中継” さぁ大変!!!
実は、番組ディレクターのNさんが、新しいレポーターを探していた最中で、その時のライブは、私たちの知らぬところで新人レポーター・オーディションになっていたのであります。先代レポーターが男性芸人コンビだったことで、同じく男性コンビ数組を見に来た、ということだったのですが、Nさんは私を見て「鶴光師匠には、女の子の方が面白くなるかも!」とピーンとひらめいたそうで、対象外だった私に白羽の矢が当たったということでした。
しかし、その時は「うれしい!」という気持ちより、断然「怖い!」が勝っていました(笑)。「鶴光師匠の番組に出られるなんて、芸人としてすごく光栄なこと! とっても勉強になるし、キャリアアップにもつながる!・・・でも、きっとまた上手くできなくて降ろされる・・・」
悲観的な思いばかりが巨大化し、かすかに芽生えた「希望の芽」を踏み潰しました。情けない思いでいっぱいでした。輪をかけるように、マネージャーから、「これでコケたら、お前に“後は無い”からな」と超巨大五寸釘を刺され、KO寸前の私・・・。指名されて決定したお仕事に「NO」は許されない、「振られた仕事は絶対やる! やらねば仕事は来なくなる!」と教育されていた私は、逃げることもできず、追い詰められ、心はパニックタイフーンの嵐! 溺死寸前でありました(:*0*;)///
この時、クリスチャンだったら、「聖霊様が一緒にいてくださるから大丈夫!」と、緊張の中にも平安があって大胆になれたと思うのですが、当時の私は、ただただ本番が来るのが怖くて仕方がありませんでした。
でも、初めて鶴光師匠とお会いしたとき、ビックリした声で「大きい娘やなっ!」と面白おかしくツッコんでくださり、たくさん笑わせてくださったのです。おかげさまで、硬くなっていた心の緊張がほぐれていきました。
そして本番・・・。場所の状況報告やインタビューがとっ散らかってしまったり、変なところを触ってイヤホンが聴けなくなったりと、スタート当初は、中継先でいろいろドジりました。しかし、鶴光師匠は怒るどころか絶妙なツッコミで、全てを笑いに変えていってくださり、その過程で私のキャラクターも確立してくださったのです。
それはズバリ「大魔神玲子」!でした。私が担当していた「大江戸外回り」というコーナーは、都内のさまざまなスポットに出没して、その場所の様子や人々の声を生で伝えるもので、中でもよくお邪魔をしたのが商店街でした。
そんな時には「佐伯玲子がチェーン振り回しながら大暴れします。○○商店街の皆さん、気い付けてください」とか、スタジオからの師匠のコーナー呼び込み「お~い玲子や~」のコールと共に突然「大魔神」のテーマを流されたりと、私の体の大きさで遊んでくださったおかげで、リスナーさんにもとても親しんでいただき、だんだんレポーターが楽しくなっていったのです。鶴光師匠だけでなく、アシスタントの田中美和子さん、番組スタッフの皆さんの温かい応援もあり、気付けば私の「レポーター恐怖症」は無くなっていました。
鶴光師匠との出会いによって、私は「レポーター」としての土台をしっかり築くことができたのです。「鶴光の噂のゴールデンアワー」を先にやっていたら、「プレステージ」を降板することもなかったかも・・・と思いましたが、神様はあえて私を強くするために、「試練」をお与えになったのかもしれません。
しっかりとした土台の基礎工事がなされてない上に家を建てても、ちょっとの雨風で、途端にもろく崩れてしまう。「芸」も同じである。神様は、それを教えてくださったのだと思います。
レポーター恐怖症を克服し、レポーターとしてのオファーも増え、相乗効果で他のお仕事も、前より自信を持ってできるようになった頃・・・今度は「芝居」の面白さを教えてくださる人物との出会いがやって来たのです。あの“サスペンスの帝王”「船越英一郎」さん、でした・・・。(つづく)
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