「佐伯、こっち来ちゃえよ・・・」。ホリプロマネージャーTさんからの力強いお誘いで、考えに考えた末、いまだ正式部署と認められていなかったホリプロのお笑いに懸けた私でした。
けじめをつけるべく、ナベプロのNさんに電話をすると、「大体のことは分かってる」と言われました。どういうことだか訳が分からぬまま、菓子折りを手に、Nさんの待つオフィスへと出向き、談話室のソファに座るやいなや、「で、お前、どうしたい?」と切り出されたのです。
Nさんは全部分かっていた様子でしたから、素直に、「向こう(ホリプロ)で、頑張ってみたいと思います」と告げました。すると、「分かった。頑張ってこいや。壁にぶち当たって戻ってきたくなったら、いつでも帰って来い」と言ってくださったのです。その口調は、終始穏やかなものでした。とても短い会話でしたが、その中に大きな愛情を感じ、感謝したことは今も忘れません。
Sさん(私をナベプロに紹介してくださったディレクター)からも責められることなく、「頑張りなさい」と言っていただきました。随分たってから聞かされたのは、私がホリプロに顔を出し始めた頃、既に、ナベプロ、ホリプロ双方のチーフとSさんとの間で、私を移籍させる話し合いがなされていたそうです。
私は、大手から大手に移るという大胆な行動を取った形になったことで「大胆不適で生意気なやつ」と思った方もいたようですが、実際は、不思議なくらい大きな理解を得て、自然な流れで、トラブルもなく移ることができたのでした。まさに「神業」というものでした。 ノンクリスチャンの時でも、神様の大きな愛に包まれていたのだと思います。
それからしばらくの間、具体的なライブの目標もないまま、隔週のネタ見せと、たまに入って来る仕事は「素人参加番組」の“素人”としての出演、という悔しい忍耐の日々が続きました。その間、「本当にこれで良かったのか?」と不安になったり、先が見えなくて怖くなったり、いろいろと心揺さぶられ、それは、舟もオールもなく大海原をがむしゃらにもがき泳いでいるようでした。
でも、「人生は巻き戻せない。とにかく自分を信じて前進するのみだ」と心に言い聞かせ、踏ん張りました。苦難や問題が発生しても、どこかで神様からの祝福と恵みが来ると信じることができ、心に平安がある「今」をあらためてありがたく思います。
なんとか耐えて精進した結果、ようやく光が差し始めました! ホリプロが株式を一部上場したのを機に、その勢いに乗って、「お笑い班」が正式部署としてスタートしたのです!「あの、アイドルのプロダクションのホリプロが、ついにお笑いに参入!!」と、大きな話題となり、各メディアからたくさんの取材を受けました。
そんな中、満を持して第1回「ホリプロお笑いライブ」が開催されました。銀座小劇場という小さな劇場でしたが、取材マスコミの数はすごく、立ち見のお客様もたくさん出たほどの大盛況ぶりでした。当時のお笑いメンバーには、私たちをけん引してくださる兄貴分として、「お笑いスター誕生」10週連続チャンピョンで、既に人気者だった「松竹梅」が加わり、しっかりとした土台が築かれました。
さらに現在、「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵夫人となった、物まねタレント・広川ひかるちゃんも所属。彼女とはその後、物まね同士、たくさんの仕事を共にしました。そして、念願の正式タレントとしての契約も交わしました。
全社員の名刺の裏に自分の名前が載っているのを見たとき、「やっと根を下ろす大地にたどり着いた!」と、うれしさで胸がいっぱいになりました。しかも、ホリプロは、ずっと憧れだった山口百恵さんのいた事務所、そこに所属したんだ!という感動は、どうにも表現しきれぬほどのものでした。
それからしばらくして、バカルディ(現さまぁ~ず)も加わり、メンバー層にも厚みが出てきました。その勢いは止まらず、月1ペースのライブで新ネタを披露、さらにテレビ・ラジオ・イベント・雑誌の取材など、バブル期だった上に諸先輩方の看板で、一緒に仕事をさせていただく好運にもたくさん恵まれました。
次第に、アルバイトをしなくても食べていけるようになり、交友関係も華やかになっていきました。街で声を掛けられたり、サインをしたりすることも増え、だんだん世間に認知されてきている・・・ということに自意識も高くなっていきました。
その思いを増幅させるように、お笑い班のマネージャー陣からは、「お前たちはホリプロという“金看板”を背負っているんだから、いつもプライドを持った行動をしろ!」「良い物を食べ、良い洋服を着て、良い映画・良い舞台・良い芸術など・・・とにかく『良い』=『芸能人的』意識を持て!」と言われ続けました。
そのことで、まだ世間知らずの私の中に、間違った「プライド」「高慢」という芽が顔を出し始めました。自分の中に、悪魔が合法的に入り込む「着地点」を作っていったのです。ここから少しずつ、順調だった私の人生に闇が忍び寄っていました。(つづく)
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