渡辺プロダクション(以下、ナベプロ)のお笑い部署「ビッグサーズデー」(以下、BT)に入れていただき、中山秀征さん、石塚英彦さん、恵俊彰さん、松本明子さんらと、テレビやラジオ、ライブなどのお仕事を一緒にさせていただいた私でしたが、その分「もっと頑張らないと!」と、プレッシャーが募り、その焦りからか、あれこれネタを作っては、こねくり回しているうちに、どんどん袋小路にはまり込み、気が付けば、物まねも入っていないような、マニアックなものばかりになっていきました。
当然、だんだん理解してもらえなくなり、ついにライブの1本ネタに出られなくなる、といった悲しく悔しい冬の時代が続きました。ナベプロと言えば、「クレージーキャッツ」や「ザ・ドリフターズ」を代表とする男性グループが主で、若手メンバーも、男子コンビやトリオが大半を占めていました。そのため、女性ピン芸人は、事務所のカラー的に理解してもらえないのかもしれない…などと、自分の未熟さを棚に上げて生意気なことを思ったりもしました。
そんな時に、「ホリプロがお笑いを始めた」と聞かされたのです。当時、私は生活費を稼ぐために、昼は派遣OL、夜はパブで働いていたのですが、そのパブのママのご主人が、ジャパンアクションクラブ(通称JAC、千葉真一さんが創立し、真田広之さんら多くのアクションスターを輩出した芸能プロ)のチーフマネージャーのMさんでした。
そのMさんが知らせてくださったのです。即ホリプロに行きたい、と思った訳ではなかったのですが、迷走を続けていた私は、どんな感じでやっているのか、ホリプロへの興味が日々募っていきました。
そしてある日、思い切ってMさんに「ホリプロのお笑いのことを、もっと教えてください!」とお願いしたのです。すると、間もなくしてMさんから「話をつけておいたから、ネタ見せに行っておいで」との電話が!! 様子を聞くだけのつもりが、一気にネタ見せに行く段取りにまで進んでしまったのです(@ ̄□ ̄@;)!!
ナベプロに居ながらホリプロに行く!…いまだ正式契約をしていないとはいえ、ナベプロのBTのメンバーとしてお世話になっている身の上なのに、そんな不義理をして良いものか…しかも、どちらも大手プロダクション…。こんな二十歳そこそこの駆け出し小娘が、なんと大胆不敵な二心行為( ̄▽ ̄;)…。
でも、私のために忙しい中、つなげてくださったMさんのご厚意を無にするのも失礼なこと…でも…、でも…。散々悩んだ末、「やっぱりホリプロで、自分のネタを分かってもらえるかどうか賭けてみたい!」という素直な自分の気持ちに従おうと決め、堂々と!!こっそり…(どっちなんだ!)ホリプロへ、ネタ見せに行ったのです!
この決断が、袋小路から抜け出す大きな転機となっていくのでした。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10:13)
(つづく)
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