上京のきっかけとなった芸能プロダクションを信頼関係の崩壊で辞め、共に辞めた4人で、大都会東京の荒波に散々もまれ、ニッチもサッチもドーニもブルドック(Byフォーリーブス)になりかけたとき(前回)・・・私はふと、「一枚の名刺」のことを思い出しました。
それは、私が「素人物まね番組」に出演した際、親しくなった放送作家Yさんから頂いた名刺でした。Yさんは、私の物まねの構成力を高く評価してくださっていた方で、その時「何か、力になれることがあったら、いつでも連絡して」とおっしゃってくださっていたのです。
「そうだ! Yさんに相談しよう! 何か力になってくださるかもしれない!」。当時、私が知っている芸能関係者で「唯一信頼できる方」と感じた方でした。私と共に辞めた仲間たちのためにも、何としても足がかりをつかみたい! わらをもすがる思いで電話をかけました。すると、すぐ私たちと会う機会を作ってくださったのです。
私は仲間を連れ、Yさんに会いに行きました。確か、旧テレビ朝日の1階にあった喫茶室だったと思います。私たちは、手書きで4人のプロフィルをまとめたものと、ポラロイドカメラで撮った宣材写真2枚を持参。
一枚は、当時私が住んでいたアパート1階の通路で撮った、変顔&変リアクションポーズのショット(私はなぜかコンセントを持って驚いていた)、もう1枚は、C-C-Bみたいなカラーサングラスをかけ、東京タワーを背に下からあおった構図で激写した、「大門軍団」みたいな・・・(;゜▽゜)
どう見ても「宣材写真じゃないだろう!」と突っ込みたくなるものを添え、Yさんにお渡しし、「何でもやります! コントもやります! 水着にもなります! 私たち、ダンスも歌もバリバリやります! IちゃんとMちゃんは、トウシューズで踊れます! お仕事ありましたらお願いします!!」と、大胆な大風呂敷を広げに広げてアピールをしました。
特に、歌とダンスはかなりの大風呂敷でした(白鵬が3人入るくらい・・・)。どうせ、すぐに仕事が来る訳もないだろう・・・その間に上手くなっておけばいいや・・・という、かなり向こう見ずな売り込みでした。
ところが、予想に反し、Yさんから1週間後、「知り合いのディレクターが、新番組のマスコットガールを探しているんだけど、面接に来ない?」との連絡が!! そして、Yさんに連れられ、テレビ東京のディレクターSさんの所へ! YさんがSさんに「この子たち、歌やダンスもできるし、お笑いもできて面白いから、よろしくお願いします」と、売り込んでくださるや、即合格!! 私たちのデビューが決まったのです!
社交辞令で適当にあしらわれることが多い世界において、ご誠実に対応してくださったYさんは、私が上京して最初に出会った「平安の子」な方でした。Yさんの存在がなければ、その後の私の芸能生活は無かったと思います。
当時はいまだクリスチャンではありませんでしたが、神様が私に「芸能の山」での召しを与えるために、Yさんを通して道を備えてくださったのだと思います。
とはいえ、「歌もダンスも抜群!!」とアピールし過ぎてしまったことで、その後は、とにかく技術向上に必死・・・というより、いかに顔で踊ってごまかすか?!の腕前磨きに躍起になりました(笑)「ダンサー」ならぬ「ガン(顔)サー」であります!(爆)
番組は、テレビ東京(毎週月~水)の「今夜も絶好調」という深夜のトークバラエティーでした。司会者がまた凄く、(月)沢たまきさん、(火)松尾嘉代さん、(水)五月みどりさん・・・と、超豪華女優陣に加え、アシスタントの中には、キッチュこと松尾貴史さんもいらっしゃいました。
キッチュさんは、大島渚監督や、野坂昭如さんなど、「朝まで生テレビ」の出演者たちの物まねで一躍人気者になった方ですが、番組後も、よくお仕事をご一緒させていただくことになりました。
私たちは、番組のマスコットガール「乙女座IV」(ディレクターSさん命名)として、キュート?!にデビューを飾り、オープニングでは、チュチュ(バレエの衣装)や、レオタードを着てダンスしたり、ゲストの方々とコントをさせていただいたりと、とにかく、デビュー番組でいきなりすごい方々と共演をさせていただく幸運に恵まれたのです。上京してわずか約半年後の出来事でした。
沢さん、松尾さん、五月さんには、本当にお世話になりました。特に松尾さんには、サスペンスドラマの撮影現場にお邪魔させていただいたり(松尾さんは、初代サスペンスの女王でした)、個人的に相談に乗っていただいたりと、本当にかわいがっていただきました。
上京早々、なんだかんだと珍事件は連発しましたが、いつも寸前のところで助けられていた気がします。天のお父様は、放蕩娘の私を、ずっと見守ってくださっていたのです。
そして、番組を3クール(9カ月)終えたところで、私たちは卒業となりました。その後、特にプロダクションに所属していなかった私たちは、また路頭に迷いかけていました。
4人で事務所を辞めたときは、同じ思いで、同じ方向を向いていたはずの私たちでしたが、各々が本来目指していたものが違っていることに気付き、少しずつ離れていきました。1人、Sちゃんとだけは、その後も折に触れて交流はありましたが、あとの2人とは全く音信不通となりました。
そんな、次の足掛かりを求めているとき・・・「物まね」が、また次のステージへと私を運んでいきました。が、このステージは、「人からの好意」をたくさん頂いていた「乙女座IV」時代とは全く違った、「荒野の時代」となるのでした。(つづく)
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