宝塚に憧れ、受験するも失敗。挫折と失意のドン底の中、美術短大に入学。その自由で豊かなキャンパス環境のおかげで自分を取り戻し、幼い頃から得意だった物まねを生かして素人物まね番組に出始め、物まねを駆使したお笑い芸人として芸能界への道を開拓していった私ですが(第8回)、その過程の中で、非常に悲しい別れを経験しました。
中3の時に祖母を、高2で父を亡くしました。祖母は、両親が共働きだったことで、私が寂しい思いをしないようにと、いつも一緒にいてくれた、かけがえのない存在であり、父もまた、人工透析をしながらも、家族のために頑張り、守ってくれた大きな存在でした。
3年の間に、立て続けに愛する家族を失った母と私・・・そんな私たちを見かねたのか?ある日、近所のKさんという奥さんが訪ねて来て、「(某宗教で)自分と家族が救われたから、私たち親娘も、ぜひそこで救ってあげたい」と言いました。
霊の存在を信じてはいたものの、面倒なことはしたくない母は、日頃不信心と言いつつも、この時ばかりは「うちは真言宗だから」と断り続けました。しかし、Kさんはとても熱心に、「とにかく、(この宗教で)祈らせてほしい!そうしたら良さが分かるから!」と懇願され、「そんなに言うなら・・・」と、母も渋々祈ってもらうことを承諾しました。
そしてしばらくたったある日・・・母が、「亡くなった父が死に装束の白い着物姿に、三角頭巾(天冠[てんがん]や額布ともいうらしい)を付け、満面の笑顔で裏庭に現れた夢を見た」と言うのです。
なぜそんな夢を母は見たのか・・・、何かの力が働いていたのかもしれません。そのことをKさんに告げるや、びっくりするほど上気した甲高い声で「うああああ~!!!良かった~!!!良かった~!!!」と、母の手をガッシリと握り締め、涙で顔をグショグショにしながら、「祈りが聞かれた~!!!ご主人、確実に成仏して良い所に行ったわ~!!!」と、大興奮で大喜び!
母も、「そうなのかなあ・・・」と、ちょっと信じる気持ちが生まれ、私も半信半疑ながら、興味を持ち始めました。が、積極的にそこの集会や奉仕活動などに参加することもなく、誘われて1、2回、Kさん宅で行われていた「皆でお経を唱える集会」的なものに顔を出した程度でした。
しかし、それからしばらくしたある日、「(その宗教の)本部がある東京に、バスを借りて皆で行くからぜひ一緒に」と、強く説得された私たちは、信者の人たちに混ざり、都内某所にある本部へと連れて行かれたのです。
遠い昔のことなので、所々うろ覚えですが、そこはとても大きな施設で、幾つもの大きな畳敷きの講堂のような部屋があり、各部屋には大きなスクリーンがあって、全室を中継できるようになっていました。
一つ一つの部屋に、巨大な仏像が祭られており、私たちもKさんたちと共に、ある部屋に通されました。しばらくすると、黒スーツ姿の男性が、祭壇横に現れ、マイクを持ち、低いゆっくりとした声で、何かの式典での、教祖の様子を語り始め、やがてその模様を収めたVTRが始まりました。
程なくして、それを見て感動した信者の人たちが泣き始め、VTR内の教祖に向かって合掌したり、伏し拝んだりして、一気に周囲がただならぬ空気に包まれました。私たち親娘は完全にアウェイでした。
でも、これはあくまで序章・・・VTRが終わると、冷静に表情一つ変えず、淡々と語っていた黒スーツの男性が、突然!構内に響き渡る大きな声で、教祖登場のコールをしたのです!!当然、気持ちをVTRで盛り上げられていた信者の人たちは大興奮!!地響きがするほどの、悲鳴にも似た大歓声が湧き起こり、ついに“生”教祖様が登場!!
かなりの高齢で、歩くのが厳しいからなのか、元々そういうスタイルなのか、おみこしのようなものに乗り、信者たちが座っている中を、ゆっくりと練り歩いて行きました。教祖は、手に持ったハタキのようなものでお祓いをするように、信者の人たちの頭上で、それを左右にはためかせました。それを受けた人たちの興奮はもうクライマックス!・・・私と母は、ただただあぜんとたたずむばかりでした。
教祖が通り過ぎた後、巫女のような女性が数名列を成し、淡々と行進して来ました。そして、札のようなものをばら撒き始めたのです。その札は、「一枚につき、一つ願いをかなえてもらえるすごく有り難いもの」らしく、信者の人たちにとっては、「是が非にでも受け取りたいもの」だったようで、ばら撒かれるや否や、凄まじい争奪戦が勃発!!その迫力に圧倒された私は、心の中でひたすら「帰りたい!帰りたい!帰りたーい!!」と叫んでいました!
と、次の瞬間!・・・時間が止まり、周囲の騒音が消え、自分が異空間にいるような感じになりました。そして、不思議なことに、私の周りだけ人がいなくなっていて、その私が座っていた場所に向かって、真っ直ぐ巫女さんが歩いて来て、大量の札を私の前に投げたのです。
私はなぜか、とっさにそれを拾い集めていました。私が札を手にした瞬間、また現実にひゅ~っと引き戻され、我に返りました。気付くと、「お札争奪戦」は終了しており、母は私が大量の札を持っていることに気付くと、「あの状況で、よくこんなにも取ったものだ」と驚き感心しました。
しばらくすると、Kさんが疲労困憊(こんぱい)の様子で、髪の毛と洋服を整えながら、荒い息でやって来ました。「どう?取れた?初めてだったからね~、取れなかったんじゃな~い!?」と、心配そうに聞いてきたので、母が「玲子が、こんなに拾ったんだわ~」と伝えると、ぜいぜい言ってたKさんが一瞬息をのみ、驚いた顔で、「えっ!?・・・こんなに・・・すごいわね・・・.私らでもこんなには取ったことないわ・・・」と、絶句し、「あなたは徳を持っている」というようなことを言って羨望(せんぼう)の眼差しで見つめました。
せいぜい取れても2、3枚だそうで、私はビギナーズラックながら、10枚近く拾っていたのです。なぜならば、不思議な現象によって、奪い合うこともなく、すんなりと手にすることができたのですから・・・。
今思うと、これが私を「新興宗教Ⅹ」へと洗脳していくための、最初の「誘惑」だったのかもしれません。イエス様が、荒野で悪魔の試みに遭われたような・・・(例えが大きすぎて大変恐縮ですが・・・)。
「また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。『この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。』イエスは答えて言われた。『「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい」と書いてある』」(ルカ4:5~8)
当時、いまだ信仰を持っていなかった私は、御言葉の力を解き放つことはできませんでしたが、未成年でしたから母の庇護(ひご)もあり、母自身がそれ以上心酔することもなく、Kさんが来ても、その話には取り合わなくなっていき、やがてわが家も引っ越して、いつしか縁は切れていきました。
当然、大量に手にした札を、私が願い事に使うことはありませんでした。なぜなら、「そんな上手い話はない」と、自分で判断したからでした。でもその時、私の中に少しだけ、「私は、こういうもの(新興宗教)には染まらない。騙されない」という、「自信とプライド」のようなものが芽生え始めていたのかもしれません。
それが、悪魔が私を後に滅ぼすために長期にわたり、入念に仕込んだ「崩壊プログラム」だったのだと思います。そうやって、自信を付けさせ、図に乗らせ、落とす・・・。
上京して後、他にもいろいろな宗教団体からの誘惑があったものの、洗脳されて入信することは一切ありませんでした。そのように、無事にクリアしていくうちに、私の中で「私は大丈夫!」という、「自信とプライド」が、どんどん成長していったのだと思います。
これが、後に会う「新興宗教Ⅹ」(墓信仰)を深く信じてしまう要因となったのです。「今まで騙されなかった、この私が信じるのだから本物だ!」という、間違った選択を生む結果となったのです。
短大卒業後、私は内定していた就職先を断り、タレントを目指し上京します。さまざまな厳しい試練に遭いながらも、チャンスを掴んでいき、上京して約2年で、憧れだった山口百恵さんが在籍されていた、ホリプロの所属タレントとなるのです。
順風満帆の流れに乗り、そのまま上昇していく!!そう希望に燃えていた私の幸せな人生の空に、「闇の雲」は少しずつ立ち込めていったのです。(つづく)
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