前回までは、私が22年間洗脳され、全てを奪われた「墓信仰」の新興宗教Xがどんなものか?という実態をまず知っていただけたらと、主な内容をお話しさせていただきました。(詳しくは第1回から第4回をご覧ください)
今回からは何回かに分け、私が芸能の世界へ入るきっかけとなったエピソードや、新興宗教Xに出会い、洗脳されていくまでをお話ししていきたいと思います。
私は、四国は香川県さぬき市にある、志度(しど)という、小さな寺町で生まれました。四国といえば、八十八ヶ所霊場巡りが有名ですが、私の旧家の近くには、その86番札所である、志度寺があり、毎日のように白装束のお遍路さんが行き交っておりました。
私の通っていた保育園も寺が経営していたため、毎日境内の中を抜けて通っておりました。おかっぱ頭のやんちゃっ子で、毎日の行き帰り、幾つもある御堂をのぞいて回ったり、「お亀さん掘り」という池に亀をのぞきに行ったりと、道草ばかりしては、祖母や母からよく、「言うこと聞かんと仁王門(におうもん)さんに入れるで~!」と、怒られたものです。
何かやらかすたび、寺の正門の左右にそびえ立つ、大きな仁王像のある囲いの中へ入れ、性根を叩き直す!とよく脅かされたものです。「悪い事をしたら神様はバチをあてる! だから怒らせると怖い!」という考えを、幼い頃から植え付けられていたので、「神様は怖い」という印象を強く感じておりました。
今は、神様は怒るに遅く、許すに早いお方で、悔い改めれば、犯した罪さえ忘れてくださる“愛”のお方だと分かっていますから、神様との交わりは、私が最も癒やされるときであります。「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない」(イザヤ43:25)
そして、家に帰れば大きな白木の仏壇があり、その上には神棚という、典型的な日本独特の「ミックス信仰」の家庭でした。先祖供養は寺へ、商売繁盛・合格祈願は神社へ、といったノリです。
生まれて100日目にお宮参り、結婚はチャペル、死んだら坊さんのお経、正月は神社に初詣、盆踊りにみこし担ぎ、ハッピーハロウィン、メリークリスマス!!・・・と、信仰というより、人生や季節のイベントとして、生活にさまざまな宗教宗派を取り入れる。クリスチャンになる前は、全く気にもしていませんでした。
私が4歳の時だったと思いますが、父の仕事の関係で、一家(両親と母方の祖母と私)で愛知県に引っ越しました。父の実家は、小さな飲料水工場を営んでいたのですが、コカ・コーラなどの大手参入に伴い、工場を閉鎖。
その後間もなく、トヨタ自動車社員全国一斉募集があり、それに父が応募。かなりの倍率だったにもかかわらず、見事採用され、“車のまち”豊田市に移り住んだのです。
その頃からでしょうか・・・典型的なテレビっ子の私は、よくアニメの主題歌を無意識にモノマネしながら歌うようになっていました。私の場合、元気に上手に歌いたいという思いより、いかにその歌声に似せて歌えるか!ということに強いこだわりを持っていました。
フジテレビ系列で放送していた、日曜日のゴールデンアニメタイム 、「いなかっぺ大将」や「ハクション大魔王」「アタックNo. 1」に「ムーミン」などの主題歌をはじめ、後に「キャンディ・キャンディ」「エースをねらえ!」などなど、当時の一連のアニメ・ソングは、大体モノマネで歌っておりました。
もちろん、キャラクターも一通りまねをし、1人何役にも扮しては、物語を語っておりました。人前で披露したり、1人で部屋で演じたり、とにかく至る所で“モノマネ劇場”を展開することを得意としておりました。
と言っても子どもなんで、“それなり”ではありましたが(笑)。この“ものまね癖”が大人になっても続き、気付けば仕事(ものまね芸人)になっていた次第です(笑)。
豊田に引っ越し、「うどんの讃岐っ子」から「きしめんの三河っ子」に変貌した私でしたが、「仏教家庭」であったことは変わらずで、命日やお彼岸、お盆の時には「尼さん」(なぜか、お坊さんではなく)に来てもらい、供養のためのお経を上げてもらっていました。
イエス様とは全く無縁な生活を送っておりましたが、そんな中においても、神様はちゃんと私に「種」をまいてくださっていたのです。それは、1冊の絵本と日曜学校の存在でした。(つづく)
◇