短大卒業後、ディスプレイデザイン会社に内定していた私でしたが、以前に、オーディション雑誌を通してスカウトされた東京の某プロダクションに、「ビックスターと歌って踊るユニット、選抜オーディション」を受けてみないか?と言われチャレンジすると、なんと合格!・・・散々悩んだ末、内定先の会社を辞退して、タレントになるべく東京に行くことを決めました。
その時、背中を押してくださった学科の先生方、私を責めるどころかエールさえ送ってくださった内定先の会社の方、そして、一人娘の私を思いきって出してくれた母、理解して応援してくださった方々には、本当に感謝しています。
変な言い方になってしまいますが、上京しなければ、新興宗教に洗脳されて酷い目に遭う、ということもなかったのでしょうが、イエス様に出会うこともなかったかもしれません。
悪魔の私への破壊計画は長期にわたってありましたが、神様は、私が完全に落ちていかないよう、いつも守ってくださったのです。そして、ご自分のみもとにたどり着くまで、忍耐して待っていてくださったのです。本当に「ハレルヤ!!」です。
上京して最初に住んだのは、世田谷区の祖師ヶ谷大蔵。成城の隣駅でしたが、当時は昔ながらの庶民的な商店街の「ほっこりする」街並みで、地方出身者の私にとっては、とてもなじみやすいところでした。
六畳一間に小さなキッチンとユニットバス、初めての一人暮らしがスタートしました。「ここから夢をつかんでいくんだ!」――時折ホームシックになる自分を必死で振り払い、希望で心を奮い立たせ、毎日ダンスと歌のレッスンに汗を流しました。
しかし、仕事がすぐに来るわけではなかったので、食べるための仕事もしなければいけませんでした。メンバーの中で仲良くなったSちゃんの紹介で、エキストラのアルバイトを始め、いろんなドラマやバラエティーの現場に行きました。
後に、事務所の先輩になった榊原郁恵さん主演のドラマ(このドラマ共演で渡辺徹さんとご結婚)、後に自分の一番の売りネタとなる「大映テレビ」のドラマ(ここでも、後に事務所の先輩となり、顔まねをさせていただくこととなる伊藤かずえさんと、通行人役で遭遇[笑])、バラエティー番組では「笑点」など、数々の公開録画の会場で「手叩き」をしに行きました。
「手叩き」とは、手を叩いて、笑って盛り上げるお仕事です。また、モニターで「ドリフターズ」のコントを見て笑っている声を録る、という仕事もありました。他にも、たくさんの作品に出演(?)しました。
お金が頂けて楽しめる、というのは有り難いことでした。しかし、それだけでは収入が足りないので、他にも、パーティーコンパニオン、たばこのキャンペーンガール、日経関連の会社のOLから、パブやクラブのフロアレディーまで、さまざまな業種のアルバイトをしながらレッスンに励み、「自分がスポットライトを浴びている姿」を思い描き、日夜頑張っていました。
ところが、一向にデビューの時が来ない・・・。契約金やレッスン料を取られることはなかったし、レッスン講師として、当時トップクラスのダンスチームのダンサーや、時には某大御所の振付師の方などもいらしていたので、詐欺ではなかったのですが・・・。
業界に力のある事務所ではなかったようで、「ビックスターと・・・」という内容から外れ、いつしか地方の温泉パレス的な所で、物凄いハイレグ(と言うか、ほぼお尻が出てしまっている)衣装を着て踊るダンスチームになる方向性になっていました・・・。
最初は20人ほどいたメンバーも、途中でクビになったり、自ら辞めていったりで、最終的に6人となり・・・その6人が、いつしか4対2に分裂・・・事務所の懐に上手く入った2人(ただ事務所に従順しただけかもしれませんが)対、不器用な私たち4人、という構図ができてしまい、私たちの「良き相談相手」として入ってきたスタッフの女性は、実は社長夫人で、私たちの動向や考えを探っていた・・・と知り、不信と不安はどんどん募っていきました。
日々4人で会っては、事務所への不満と愚痴大会! 将来に悩む日々が続きました。今なら、こんな時は、私の内に住んでおられる「聖霊様」に「どうしたら良いか」と答えを祈り求め、望むものを「イエス様の御名を通し」宣言し、否定的な言葉を発したら「キャンセル」して、神様の御心にかなう祝福の道を選択することができたのでしょうが、当時、未信者の私は、ただただ事務所のやり方に腹を立てて裁いてばかりいました。
そして、自分だけの力で何とかしなければと、日々もがいていたのです。神様により頼み、全てを委ねる術を知っていたら、あんなに悩み苦しむこともなかったでしょう・・・。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)
この御言葉を知っていたら、どんなに救われたことでしょう・・・。4人集まれば愚痴大会で裁く。そんなことを繰り返していたせいで、私は、その報いを受けることとなるのです。
「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」(マタイ7:1、2)
それは、「素人ものまね番組」から出演依頼が来たことがきっかけで起こるのでした。(つづく)
◇