上京のきっかけとなった芸能プロダクションに不信を抱き、最終的に残ったメンバー6人も、事務所に付いた2人と壁ができて分裂・・・。以来、私たち事務所反発組は、集まれば事務所の悪口大会。そうすることでしか、心の不安を紛らわすことができなくなっていました。
今なら、その行為によってかえって悪い方向に進んでしまうことが分かるので、悪い言葉を発しないよう心掛けます。もちろん人間ですから、怒ったり、悲しんだり、いろいろとマイナス感情は起きますが、それを回避できる術を知っているのと知らないのとでは、心の回復が全く違います。
知らないと、根本的解決にはならないのです。私たちの神様は、生きておられて、いつもそばにいて助けてくださる。こんな心強く素晴らしいことはありません。しかし、いまだ「イエス様の愛」を知らなかった当時の私は、どうにもやり場のない袋小路の状態に悩み苦しんでいました。
そんな時、再び「素人ものまね番組」からの出演依頼が来たのです!「よし!これはチャンスだ! 自分たちのユニットをしっかりPRして、事務所に貢献して、私たちの売り方を見直させる! 私が変えてみせる!」(今思えば、とても高慢な考えでした)
私の「出世欲」と「プライド」が顔を出した瞬間でした。出演に渋い顔をする社長から、なんとか出演の承諾をもらいましたが、番組収録に、例の事務所反発組の3人を応援団として連れて行くことまでは話していませんでした。
公開録画の番組で、私の応援で客席に座っていた彼女らを、カメラは何度も映し、それが見事オンエアされたのです。私は「大成功!」と喜びました。しかし・・・事態は思わぬ方向へ動いていったのです。
その後に開かれたミーティングで、メンバーとマネ-ジャー数名がいる中、私は社長から褒められるどころか、「自分1人でやるのは勝手だが、他のメンバーを巻き込むな。利用するな」。さらに・・・「クーデター的な行為」「謀叛(むほん)的行動」と叱責をされてしまったのです。
もちろん、そんな考えは一切ありませんでした。グループのPRのためと、ただそれだけの思いでやったことでした。しかし、結果は反逆者のレッテルを貼られる羽目に・・・。私は、泣いて叫んで反論し、抗議しましたが、全く分かってもらえないまま、ミーティングは終了・・・。人の批判ばかりして裁きまくった上に、傲慢(ごうまん)になって突っ走った報いが、このような形でわが身に降りかかったのです。
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ」(箴言4:23、24)
「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください」(詩篇141:3)
この御言葉を、当時の私が知っていたら・・・。神様が、この世を「ことば」で造られたように、言葉には「創造力」があることを理解していなかった当時の私は、自分が言葉として蒔いた「悪い種」から育った「悪い実」を刈り取り、苦い思いをしたのです。
ミーティング後、私たちはまた4人で集まり、考え抜いた末、4人でグループを脱退、事務所を辞め、自分たちの力でチャンスをつかんでいこうと決めました。何か大きなコネがあった訳でもありませんでしたが、辞めたことで小さな籠から外に解き放たれた小鳥のように、思いっ切り羽を広げられたような「開放感と希望」でワクワクしました。
「でも、浮かれてばかりはいられないぞ」と、何でも良いと思ったことや人から勧められたことはトライしていこうとしました。しかし、それらは全て、自分たちの肉の思いや、他人の言うことに従っただけでしたので、「無駄にいろいろぶつかっては傷付く」ということの連続でした。
街角で「自称カメラマン」という男性に写真を撮られ、後日4人で食事に誘われて行ってみたら、その彼のお母さんが来てて、危うく「嫁選び」されそうになったり、「ものまね番組」で親しくなった、某大物歌手のそっくりさんの方に、「劇団を作ってあげる」と言われ、企画を聞きに行けば、「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)と魑魅魍魎(ちみもうりょう)云々・・・」というオドロオドロシイ劇団名で、危うく超アングラテイストの妖怪ユニットを結成させられそうになったり、女子好きの業界の地位ある人に、愛人契約の誘惑をされたり・・・と、とにかく「東京には“魔物”が棲んでいるぞ~!!」と叫びたくなるようなことが次々に起こりました。
しかし、寸前のところで被害に遭わずにこられたのは、イエス様が守ってくださったのだと思います。いまだ救われていない、罪の中に生きていた私でも、完全に崖から落ちぬよう、捕らえてくださっていた。将来、ご自分の御元に帰ってくる、愛するわが子だと・・・まさにルカ15章11~32節に書かれている「放蕩(ほうとう)息子の例え」のごとく、この「放蕩娘」の私を遠くから見守っていてくださったのです。
さらに後に、私を究極に追い詰めていった「墓信仰」の新興宗教の脅威からも、危機一髪のところで救い出し、今こうして生かされている・・・。「天のお父様の愛」を、このコラムをつづりながらしみじみと思い、感謝と喜びで胸が熱くなります。
事務所を辞めてから、嫌な思いはたくさんしましたが、そんな中・・・神様は“あること”を私に思い出させてくださったのです。それは、1枚の名刺の存在でした。(つづく)
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