上京して、芸道に励む中、苦い失恋を立て続けに経験し、一時は打ちのめされた私でしたが、「私は芸能界で成功するために家族と離れ、内定していた就職先まで断って、固い決意で上京したんじゃないか!頑張らなきゃ!」と、一念発起! 再び、芸能界での成功を目指し、力強く立ち上がりました。
そう決めた途端、状況が一変! 「恵みの風」が吹き始めました。突然、私とT君(女性アイドルの物まねを得意とする)は、ディレクターSさんに呼ばれ、今後の私たちの身の振り方についての提案がなされました。実はこの時、渋谷の店「M」も、オーナーチェンジで閉店となり、物まねを披露する場所もなくなっていたのです。
Sさんは、まだ20代前半だった私とT君に、「2人はまだ若い。だから、ちゃんとお笑いを勉強した方が良い」と、渡辺プロダクション(以下:ナベプロ)内に、当時あった「ビッグサーズデー」というお笑いセクションに入れてくださったのです! 「預かり」という形ではありましたが、突然、老舗の大手芸能プロダクション、ナベプロに入ることができた私は大興奮しました。
「ビッグサーズデー」には、ABブラザーズ(松野大介さん、中山秀征さん)を中心に、松本明子さん、(ホンジャマカ結成前の)石塚英彦さん、恵俊彰さんなど、現在も芸能界でご活躍されていらっしゃるメンバーがたくさん所属していました。
秀ちゃんこと、中山秀征さんは、当時から兄貴肌で、いつも私たち後輩を盛り上げてくださいました。めぐりん(由来はコントの役名)こと恵俊彰さんは、若手の頃から落ち着いていて、当時からスマートで面白いネタを作られていました。アッコちゃん(松本明子さん)は、いつも元気で明るくフレンドリーで、緊張していた私にドンドン話し掛けてくださり、おかげで私は、メンバーの皆さんとも早く打ち解けることができました。
中でも、石塚さんには、いろいろと芸に関しての悩みを聞いていただいたり、力強く励ましていただいたり、と大変お世話になりました。ストーカーに悪質なイタズラを家にされたときなど、奥様(当時はご婚約中)と2人で家まで送ってくださり、「何かあったら、すぐ電話して来な」と心配してくださったことまでありました。
そんな素晴らしいメンバーの方々に囲まれ、私は毎週月曜日から金曜日まで、さまざまなジャンルのレッスンをたっぷり受けることができました。演技、ダンス、MC、そしてお笑い(ネタ見せ)、なんとそれらは全て無料だったのです! あらためてすごいことだと思いました。神様は、1人暮らしで経済的にも苦しかった私のために、無料で一流講師のレッスンを受講させてくださったのです。
ノンクリスチャンの時でさえ、私は神様にこんなにも大きく守られていたんだなと、今更ながらあらためて感謝しました。ハレルヤ!そして、フジテレビ「冗談画報」(当時、無名だった若手お笑い芸人やミュージシャンなどを紹介した、深夜の高視聴率番組)をはじめ、ABブラザーズ他、先輩方が出演される番組、また定期的に開催されていた、お笑いライブにも出演させていただく幸運に恵まれました。
しかし、そうやって「ビッグサーズデー」のメンバーと打ち解けて行く中、一緒に入ったT君は、うまくなじめず、静かに去って行ってしまったのです。心配して電話し、来るように説得したのですが、「玲ちゃんは芸能界で生きていける人。でも、僕は違う・・・無理なのね・・・僕は辞めるけど、玲ちゃんは頑張って!」という言葉を残して・・・きっと本当は彼も、やっていきたかったのだと思います。
もっと物事をシンプルに、良い意味で楽観的に考えられていたら、新しい可能性が広がっていたかもしれない・・・そんな風に考えると、残念で寂しく思いましたが、これもT君が決めた人生だと気持ちを切り替え、前を見つめ、進んで行こうと強く決心しました。
そうして進んで行くうち、神様は、さらなる段階へとシフトチェンジさせるべく、また新たな試練を1つ、私の前に置かれました。それは「スランプの壁」でした。(つづく)
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