スランプ中だった私に、突然開かれたホリプロお笑いの門。正式なお笑い部署として活動していたナベプロBT(ビックサーズデー)とは違い、当時のホリプロのお笑いは、社内ではまだ未認可の「同好会」のようなもの。それでも、「大きなチャンスだ! 自分には才能があるのか否か? 本当にもう限界なのか?…BT関係者以外の人たちの意見も聞きたい! 見てもらって確かめたい!」…JACチーフマネージャーMさんの紹介で、私は遂にホリプロにネタを見せに行くことになったのです。
ネタ見せ稽古は、他のタレントがあまり使わない隔週の日曜日の午前中に行われていました。BTのように、ダンスや演技、MCレッスンといったプログラムはありませんでしたが、一番驚いたのは稽古場でした。
立派な4階建ての自社ビルにもかかわらず、屋上に建てられたプレハブの建物….通称“5階”と呼ばれる場所は、エレベーターがなかったため、階段で上らねばならず、そのアナログテイストに目が点になったものです(笑)。とはいえ、ホリプロ歴代アイドルの皆さんが、歌に踊りにお芝居にと、汗と涙を流した“5階”は、凄いプレハブ!なのです。
「ピーターパン」などのリハーサルが行える大きなスタジオは用賀にありましたが、何せ「同好会」の身分のお笑い班に使わせていただけるはずもなく…(現在は、地下に素晴らしい鏡張りのスタジオがあり、そこでお笑いスクールも開校されており、時々、講師をしています)。今でも“5階”は健在とのことです(笑)。
その“5階”に初めて足を踏み入れたとき、中にいたのは「キットカット」というコンビを組んでいた「イジリー岡田」君ら、男女合わせて10名にも満たない少数メンバーでした。人数はBTの約3分の1、コンビは3組ほど…ネタ見せも、BTの時のような緊張感が無く、ほのぼの感が漂うアットホームなノリで、おかげで気負わずネタ見せができました。
その後は、ケンタッキーをデリバリーして皆でランチ、といった地域サークルの「お楽しみ会」のようでした。若干の不安は感じつつも、彼らとはすぐに仲良くなり、和気あいあいとやっているうちに心も脳みそも柔らかくなって、次第に新たな発想でネタを作り出すことができ始めました。暗闇の先に一筋の光が差し、徐々に夜が明けていくようでした。
その甲斐あって、やっとスランプを抜け出し、次のBTお笑いライブに、久々に一本ネタで出演することが決まったのです! そんな時でした。ホリプロのマネージャーTさんから「佐伯、お前もう、こっちに来ちゃえよ。今はいまだ同好会だけど、必ず正式部署にするから」と、強く言われたのです。
私もずっとこのままではいけないと思っていましたが、迷いました。BTの仲間も大好きでしたし、もっと一緒にやりたい思いもありました。が、久々に一本ネタでライブに出られるようになった背景には、ホリプロのお笑いの存在があったことも事実でした。悩んで、悩んで、悩み抜きました…そして、決めたのです。
間もなくして、BTお笑いライブの本番があり、久々の一本ネタは見事に大きなホームランを打てました! 「一番面白かったよ!」と言ってくださるファンの方もいて、本当にうれしい結果でした。
この時に作ったネタ「いろいろな人の電話の受け方シリーズ」(アメリカンコメディーに出てくる女の子の電話の受け方、昔の女優の電話の受け方etc…)は、私の代表作の1つとなり、後にいろいろなテレビやラジオ、営業イベントなど、さまざまな場所で活躍する作品となったのです。
「立つ鳥跡を濁さず…これでケジメもついた…ホリプロ『お笑い同好会』に移ろう!」。この時私は、現実に「見えている世界」よりも、いまだ「見えていない未来の世界」に賭けたのです。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです」(ヘブル11:1~3)
ノンクリスチャンだった当時の私は、この御言葉を知りませんでしたが、何かよく分からない「確信」的なものがあったように思います。無意識でしたが、その時私は、「父」なる神様の声をキャッチしていたのかもしれません。素直に自分の思いを話そうと、BTチーフのNさんに電話をしました。
「Nさん、実は…お話したいことがあるのですが…」と伝えると、「おお、そうか。大体の事は分かってるから、とにかく一度来いや」…なんと、落ち着いた様子で、そう言われたではありませんか! 私の知らない所で、既に何かが動いていたのです!! (つづく)
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