戦国時代の宗教を考える
日本の戦国時代、宗教がどんな影響を人々に与えたかを考察する良書である。そして、私たちが日本史の教科書などで学んでいた「常識」が、実はそうではない可能性を示唆するという意味では、とても革命的な1冊である。
ここでいう「宗教」とは、当時の真言宗と外来のキリスト教である。この2つは出自も展開も全く異なることから、あまりその連関を問われることがなかった。しかし本書では、戦国大名や民衆が戦(いくさ)に対して神仏に祈願する習慣を持っていたことから、深い関わりがあったことを示している。
さらに白眉なのは、キリスト教の伝来とその後の展開に関する3章、4章の記述である。どうしてキリスト教が日本に伝えられたのか? なぜキリシタン大名が生まれたのか? そしてどうして織田信長はキリスト教を擁護し、逆に豊臣秀吉はこれを禁じたのか? このあたりは某バラエティー歴史番組も驚きの展開が待っている。
そもそもカトリック教会および国家が世界に目を向け始めたのは、プロテスタント教会が生み出され、自分たちの土地や既得権益が侵され始めたことに端を発している。彼らは新たな市場を求めて、インドや中国などへ「宣教」という名の侵略を開始する。その際、この急先鋒(せんぽう)となり、カトリック教会のお墨付きをもらって世界展開をしたのはポルトガルであった。当時、ポルトガルは欧州列強の中で先んじて世界展開をカトリック教会と共に遂行していた。
やがてフランシスコ・ザビエルが日本にやって来る。彼はカトリック式の宣教政策を推し進めるため、京の都へと上っていく。しかし、当時の日本に有力な「王」が存在しないことを知った彼は、やがて西へ帰り、周防国(山口県)で大内義隆から布教と領民の改宗について許可を得る。ここから本格的に日本宣教が始まったとされている。
本書はこのあたりの一般的な歴史的出来事をなぞりながら、歴史的な出来事が「どうして」起こったのかについて、文献などから分かりやすく解説している。私たちはこの「どうして」について各方面から説明を受けることになるが、その中で一番よく耳にするのは、織田信長が「新しいもの好き」だったから、キリスト教を受け入れたことで、他の武将たちもこれに従わざるを得なかった、というものだ。
しかし、この定説を本書は見事に覆す。そしてキリシタン大名が誕生することになった経過も、単にカトリック神父たちの献身的な働きだけではなかったことを喝破(かっぱ)している。日本の戦国大名側にとっても彼らと結び付くことに利があったのである。カトリック勢力と結び付くなら、その背後にいるポルトガルや欧州列強諸国と友好関係を持つことができる。これこそキリスト教が各地で優遇された要因であったと本書は語る。つまり「持ちつ持たれつ」の関係が築かれてこそ、日本のキリスト教は産声を上げることができたのであった。
「天道」概念=「キリスト教の神」?
さらに、読んでいる電車内で私が思わず「ええ!」と声を上げてしまったのは、日本人がキリスト教を受け入れたのは、もともと日本人が抱いていた「天道」という思想がキリスト教の神概念と多くの点で一致していたからである、という件(くだり)。作者はあっさりと次のように説明している。
「ところでこの天道の観念は、当時の戦国大名をはじめ、日本人には極めて一般的な観念であった。言い換えれば、日本人がキリスト教の神を理解し、共感することは、それほど困難ではなかったことが予想される」
ちなみに「天道」とは、超越的なこの世の摂理、力のことを意味していた。人々が良いことを行うなら「天道が祝福し」、悪しきことを行うなら、「天道が罰を与える」とされている。また、自分にとって幸運な出来事に出くわしたとき、人は「天道が私を導いてくれた」と捉え、不都合な出来事に出くわしたときは、「天道が私に反省を促している」と捉えていたという。つまり、キリスト教は決して目新しい宗教として浸透したのではなく、むしろなじみ深い日本側の考え方があってこそ、根付くことができたというのである。
このような天と地が引っくり返る(私にはそう思えた)新説が後半には怒涛(どとう)のごとく列挙されている。値段にして820円(+税金)、わずか200ページの新書だが、そこに込められている内容はとても滋味豊かである。
さらに、1つ提案したいことがある。それは本書を読んで、その真実性を議論するだけではもったいないため、ぜひこれを基にした宣教論を皆で話し合ってはいかがであろうか。例えば、私たちが当たり前として受け止めていた事柄として、「日本人にキリスト教はなじみがないもの」というものがある。
しかし、本書によると、日本側にはキリスト教を受け入れたい理由(ポルトガルとの関わり)、また受け入れてもいいと思える要因(天道という思想)が存在していたことが判明している。それなら現代の宣教論はどうか? これらの前提に立って宣教を再構築することが求められているのではないだろうか。
そういった意味で、本書は歴史書であるとともに、神学的な示唆に富んだ実践神学のタネ本として用いることができるといえるだろう。
神田千里著『戦国と宗教』(2016年9月、岩波新書)
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