日本基督教学会第64回学術大会が13、14の両日、広島女学院大学で開催された。初日は、広島女学院院長・同大学学長の湊晶子氏の主題講演「キリスト教主義女子教育と平和」、2日目には「被爆地ナガサキから」「被爆地ヒロシマから」と題したシンポジウムが行われたほか、2日間にわたり37の研究発表が行われた。
「体験」からの信仰として内向的だったキリスト教を「外」に向けたペンテコステ運動
本紙に連続コラム「キリスト教から米大統領選を見る」を連載している青木保憲氏(大阪城東福音教会牧師)は「ホーリネス運動からペンテコステ運動へ」と題して、米国の18世紀のホーリネス運動からペンテコステ運動に至る過程を「聖霊のバプテスマ(Baptism in Holy Spirit)」という概念からたどった。
青木氏は、米国でのペンテコステ運動について、北部メソジスト教会の信徒説教者だったチャールズ・パーハムが1900年に「異言(speaking in tongue)」を体験し、「回心、聖化に続く聖霊のバプテスマとは、異言を語ることを唯一のしるしとする」という信仰理解を得たことから始まると説明した。
その上で、ペンテコステ諸派の発展は、教義や神学から演繹(えんえき)的に導き出されたものではなく、異言という「体験」を出発点にして、当時の米国の“内向的”な宗教性を「宣教」という外向的なものへと質的に変換させる契機となったと指摘した。
さらに、時期としてはちょうど、フロンティアが消滅し、米国の政策が内向的なモンロー主義から海外膨張政策へと転換していった時代と重なっているとし、ペンテコステ運動を現代史的な観点から検証することの意義を訴えた。
キリスト教受容における、「武士道」と中国の「士大夫」の共通点と役割
李剣峰氏(同志社大学神学研究科博士課程)は「中国における知識人のキリスト教需要と土着化」とのテーマで、1980年代以降の中国の知識人のキリスト教受容を、内村鑑三の無教会主義と比較考察した。
1980年代以降、中国では、キリスト教が西洋の属性を持っていることを前提とする「本色神学」に対し、「神学者自身が使用している母語や主要言語を材料とし、その言語によって論述された生存経験と文化資源を材料とし、その言語の使用者を対象とする神学」としての「母語神学」「漢語神学」という概念が台頭してきた。
そこには「漢民族主義」という罠(わな)も潜んでいるが、キリスト教神学の土着化として評価することができると指摘し、「漢語神学」には内村の無教会主義と「土着化」「愛国主義」「大学教授など知識人中心」という共通点があるとした。
李氏は、内村が日本におけるキリスト教を考える中で日本古来の「武士道」を重視したのと同様に、中国でも明清代以降のキリスト教の需要と土着化において「士大夫層」が重要な役割を果たしており、両者には共通点が見られると述べた。
沖縄から広島へ 牧師・谷本清の軌跡
沖縄や奄美など近代日本の南島キリスト教史研究を行っている一色哲(いっしき・あき)氏(帝京科学大学)は「沖縄から広島へ―牧師・谷本清の軌跡―」と題し、太平洋戦争前から沖縄戦直前までの沖縄でのキリスト教伝道者の活動と戦後の生涯を系譜として紹介した。
一色氏は、米国で原爆の被害をいち早く訴え、原爆孤児らの救済に尽力した谷本清牧師(1909~86)が、1941年から44年にかけて那覇中央教会で伝道を行ったのち、戦況がひっ迫する中で広島に移ったことや、戦後の米国における「平和行脚」の中で、沖縄戦を戦った米兵と交流していたことなどを報告した。
同時期に沖縄伝道に従事していた服部団次郎牧師(日本基督教団那覇教会)は、他教派の牧師と共に1935年にハンセン病患者支援のために「沖縄MTL相談所」を設立し、これが1938年に沖縄県立のハンセン病療養施設「国頭愛楽園」となった。
太平洋戦争が激化し、国の「無瀬県化」の方針の中、服部らは園を追い出され、沖縄を去らざるを得なかったが、戦後も沖縄での経験をもとに九州の筑豊の炭坑夫として働きながら、牧師として炭坑夫やその家族の生活を守る社会活動を続けた。
一色氏は、2人の生涯において、戦前の沖縄での体験が、その生涯に大きな影響を与えているのではないかと指摘した。
高橋哲哉氏の問いへの応答としての「『犠牲』に対する神学的・倫理的考察」
今回の学会で特に重要と思われたのは、「『犠牲』に対する神学的・倫理的考察」と題する小原克博氏(同志社大学神学部教授)の研究発表だ。これは、2015年に関西学院大学で行われた哲学者の高橋哲也氏(東京大学教授)による講演「贖罪(しょくざい)論なきキリスト教は可能か」への「応答」と言える。
小原氏は、現代世界において「犠牲」を問う意義として、紛争やテロでの人種、国籍、宗教などの境界設定によってつくられていく犠牲のほかに、新型出生前診断の羊水検査で染色体異常を持つ胎児が“生まれる価値のない命”として「命の選別」がなされ、自動的に「犠牲」にされ得る社会の在り方に対して、神学的、倫理的に考える必要性を指摘した。
キリスト教におけるイエスの十字架の贖罪的意味は、人類史的な「動物供犠」と深く結び付いているが、第2次世界大戦後はミッシェル・フーコーやルネ・ジラールなど現代思想から犠牲のシステムに対する批判が始まったとされる。
『犠牲のシステム 福島・沖縄』などの著作があり、仏現代思想を専門とする哲学者の高橋哲也氏は2015年の講演(関連記事はこちら)で、キリスト教がイエスの贖罪信仰に基づいて「尊い犠牲」を正当化し「犠牲の再生産」を生んできたと厳しく批判した。
小原氏は、犠牲という概念がキリスト教にとって重要であることを認めつつも、「イエスの『倫理』の3つの特徴」を考えることで神学の立場から再検討を試みた。
① イエスは、単純な善悪二元論や勧善懲悪(かんぜんちょうあく)を否定し、むしろそれを超える倫理的地平を指示したのであり、犠牲論理の中にある「交換論理」とは異なり、むしろそこから解放する力として立ち現れる。
② 犠牲の論理が、しばしば“より大きな全体のため個人が犠牲となるべきこと”を促し、戦争を動かす原動力となってきたのに対し、イエスは集団のために個が犠牲となることを拒否し、徹底してこの存在にわれわれの注意を促した。「見失った羊のたとえ」(ルカ15:1~7)にあるように、それは徹底した個人倫理であり、集団のために個の犠牲を正当化する集団倫理とは全く異なっている。
③ イエスは「犠牲の内面化」を行った。「もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう」(マタイ12:7)。イエスの倫理は犠牲ではなく、むしろ「憐れみ」へとわれわれの心を向けさせる。
しかしながら小原氏は、戦争の時代に多くのクリスチャンにとって、国のために戦って死ぬことと信仰とは矛盾しなかったことや、尊い目的のために命を差し出すことが模範的な自己犠牲として称賛され、しばしば殉国と殉教がほぼ同義となっていたとし、マーク・ユルゲンスマイヤーの指摘を引用した。
「〔世俗的ナショナリズムと宗教は〕包括的な道徳秩序の枠組み、すなわちそれに所属する人々に究極的な忠誠を命じる枠組みを与えるという、倫理的な機能を果たす。(中略)ナショナリズムと宗教がもつ、殉教と暴力に道徳的許可を与える力ほどに、明確に忠誠の共通様式が現れているものは、他のどこにも存在しない」
最後に小原氏は、供犠や犠牲の役割を歴史的文脈の中で位置づけて考察することや、犠牲に伴う感覚や身体性、他者の苦痛に対する「共感」、国家や集団による犠牲のシステムに対する「批判的視座」を常に持つことの必要性を述べ、犠牲(自己犠牲)のポジティブな倫理展開を探る可能性を指摘することで発表を締めくくった。
このほか2日間の発表では「同性婚合法化をめぐる神学的課題」「日本基督教団における軍用機献納運動」「守山祐次郎の十字架刑―津和野キリシタン『殉教』研究―」「極東におけるキリスト教の過去と現在―アイヌ、ニヴフ、ツングース、ヤクートを中心に―」など、多彩な切り口の研究発表が行われた。(続きはこちら>>)