トランプ氏を支持するWASPとは?・その2
「スチュワードシップ」の功罪
米国社会の中のスチュワードシップの精神
前回、「スチュワードシップ」という言葉を取り上げた。これは聖書の「タラントンのたとえ」を根拠にして、個々人の自由と責任を最大限保障する考え方である。“神から頂いた能力をしっかり用いることで必ず良き結果を得ることができる”とする「信仰心」に裏付けられ、人々は政府からとやかく言われない権利を勝ち得ていた。
こう書いてしまうと「聖書の言葉を歪曲しているだけではないか」と受け取られがちだが、「スチュワードシップ」には積極的な側面も存在する。
それは、この考えにのっとって手元にある財産を「神からの報酬」と捉えるところから始まる。聖書には「受けるよりも与える方が幸いである」とあるように、彼らは「多くもうけた者は、多く与える喜びを手にした」と考え、手にした富の中から福祉団体や政治団体、教会、個人へ献金をする生き方を実践したのである。
その結果、米国では今でも寄付や支援金、奨学金などを人に与えることは一般的な慣習として残っている。そして、人々から献金を集めることも何ら恥ずべきことではなく、多くの人たちがこの訴えに応える文化を形成している。
例えば私の友人など、彼女の子どもがフランスの大学へ留学することになり、なんとメジャーリーグの本社宛てに支援金の願いを送りつけ、見事に4年間の学費を手にしたという。「スチュワードシップ」社会、恐るべしである・・・。
もうけること、家計を切り盛りすること、そして他の人の必要のために献金すること、これら全てを「神から与えられた恵みの機会」と捉える考え方、これこそ「スチュワードシップ」の本質である。
この「スチュワードシップ」が健全に機能していれば、政府は個人の自由と責任を最大限尊重する「小さな政府」であればいい。だがそう言い得る時期は、歴史的にほとんどなかった。
例えば南北戦争後の北部の工業化の時代、鉄鋼王のカーネギーは自身の財団を創設し、多額の寄付を福祉事業のために行った。しかし、経済格差は過去最高になり、人口の10パーセントが国家の10分の9の富を手にするという不均衡が発生した。当然しわ寄せを食らったのが新移民たちであり、炭鉱などで働くブルーカラー層であった。
さらに1920年代、第1次大戦の好景気に酔いしれた米国は、経済的バブル状態を生み出した。当時銀行は、半ば強制的に農民たちに金を貸し付けていた。そして1929年10月24日、「大恐慌」が発生し、米国は一気に経済破綻の道をたどる。
これを回復へ持っていったのが民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領である。彼の「ニューディール政策」は、政府主導で景気回復を図ろうとするもので、銀行や農民たちへの救済措置を講じた。これがいわゆる「大きな政府」である。
政府統制下、国民は行政指導に従うかわりに救済措置を受けられるようになった。これで救われるのは低所得者層であり、彼らを助けるのに富裕層は増税を強制された。ここに富裕層たちの不満がたまり始め、「小さな政府」を目指す運動が引き起こされていく。歴史的に見て、「スチュワードシップ」は局地的な成功を収めたにすぎない。
この考えに代わるものとして、「社会的福音運動」を提唱する者たちがいた。ウォルター・ラウシェンブッシュ(1861~1918、社会的福音運動の代表的牧師、著作は『キリスト教と社会の危機』など)、ワシントン・グラッデン(1836~1918)らに代表されるリベラル派牧師たちは、社会全体を改善することで米国を「神の国」足らしめようとした。彼らの働きは1950年代以降、公民権運動として結実していく。
WASPブルーカラー層はなぜトランプ氏を支持するのか?
第2次世界大戦以降、この「大きい」「小さい」は、共和党、民主党の政策程度の差を示す表現にしかならなくなっていく。印象深いのは、1980年に大統領となったドナルド・レーガンである。
彼は徹底した「小さな政府」を実践し、「強いアメリカ」を内外に印象付けた。このレーガン政権誕生に寄与したといわれているのが、宗教右派と後に呼ばれたキリスト教「福音派」である。
彼らは「小さな政府」志向であり、レーガン政権樹立のために共和党に多額の献金(1450万ドル)をした。その額は米国の労働組合の政治献金の集金額とほぼ同じであった。
ここで驚くべきことは、彼らの中に高額献金者がほとんどおらず、ほとんどが10ドル20ドルを献金した一般庶民であったことである。つまり、「各々の能力に応じて与えられたタラントンを用いることが神から託された使命である」と受け止めたWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)たちは、「スチュワードシップ」をここで実践したといえよう。
さて、このような変遷をたどって、2016年大統領選挙におけるトランプ氏支持のWASPを見ていこう。彼らは米国では「保守主義」という立場にある。自分たちの先祖が築き上げた伝統や美徳を時代の流れに適応する形に変化させながら、その本質を軽んじない生き方を実践していると信じている。
しかし、そんな彼らにとって、現在の米国は理想とする「神の国」に近い国家となっているであろうか?
米国国税調査局が2015年9月に発表した年次報告書によると、米国は「正しい方向」に向かっているか「誤った道」を進んでいるか、という質問に対し、後者であると回答した者が65パーセントに上っている。
なぜそう考えたのか? 2008年のリーマンショック以降、10パーセントを越えた失業率は2015年末時点では5パーセントに下がっているという報告が政府から出ている。
しかし、トランプ氏を支持しているWASPブルーカラー層では6パーセント、さらに高卒以下では9パーセントとなっており、経済成長を肌で実感するには程遠い「現実」が彼らの前には存在している。彼らは景気回復の恩恵を受けてはおらず、むしろ家計の逼迫(ひっぱく)を感じており、貧困層に転落する者が増加しつつあるのだ。
政府の楽観的な見解が一方にあり、反対側にはWASPブルーカラー層の現実がある。この乖離(かいり)状態を見て、「誤った道」に米国は進んでいると受け止めた者が多くいるのである。
学歴も収入も自分たちよりも上である一部の政治家たちが、訳知り顔で国家の成長をたたえ、あろうことかイスラム、不法移民らに「大きな政府(民主党)」が救いの手を差し伸べようとしている。
それに対して共和党政治家たちは、決定的な策を打てないまま、無為に時間だけが流れていく・・・。そんな感覚を彼らは抱き始めている。それは、現在の形式的な「政治家」に対する拒否であるともいえよう。
理論や政策の説明は立派にできる。しかし、本当に回復してほしい米国の価値観へ人々を連れ戻す「変革」を成し遂げる者がいないことに、彼らは気付き始めたのである。
建国以来、「変革作用」と「統合作用」をつかさどってきた米国政治体制そのものに対して、WASPのブルーカラー層を中心に、特に高卒学歴を持った年長者たちは「NO」を突き付けているのだ。そして従来のやり方、スタイルには収まりきらない無頼漢が彼らの鬱積を代弁している。これが「トランプ現象」である。
そういった意味で、トランプ支持者たちは米国を“人種的に不寛容で他国のことなどお構いなし”という国家にしたいわけではない。「マニフェスト・デスティニー(明白な使命)」精神は今なお息づいているし、「スチュワードシップ」に基づいたピューリタン的な道徳心は十分持ち合わせている。
しかし、いつしか国家そのものが、それを換骨奪胎させてしまった。自分たちは「自主的に与える」という美徳を持っている国民であるはずなのに、いつしか政府によって強制的に「払わされる」体質にならされてしまっている。そのことを彼らは嘆いているのである。
◇