聖霊(浄風)に関して唐代の景教徒たちはどのように理解し、伝えていたのか。
聖霊の用語は「浄風」「元風」「涼風」があり、他にシリア語の「Ruha(霊)」「dekudsa(聖)」から漢訳し「蘆訶寧倶沙」と書き、尊経に1回出ます。シリア語の霊の漢訳として「囉嵆」(読み不明)があり、志玄安楽経に2回出ます。
浄風はきよい風から聖書的かと考えます。唐代には「霊」の用語の使用はなく、人の霊魂と混同することから使用しなかったかと考えます。景教碑に「三一浄風は、言なく新教により人を救い正しい信仰へと導いた」と教えています。世尊布施論には、マタイの福音書28章19、20節を「父子浄風の字(名)で水に向かわしなさい」とあります。
古代教会は聖霊の用語や使用について、古ローマ信条(最古の教会信条)やニケア信条においても多くは語らず、「我は聖霊を信ず」だけです。新約聖書では聖霊が多く語られています。それは聖霊降臨後に福音を宣教し、教会を設立した方は聖霊自身であるからです。特にヨハネ福音書3章には聖霊を風に例え、風として唐代にも伝わり、元風、浄風と漢訳したのかと考えます。
浄風 ➡ 景教碑に2回。一神論の世尊布施論に5回。三威蒙度論に2回。
涼風 ➡ 序聴迷詩所経に6回。
元風 ➡ 景教碑に1回。
囉嵆 ➡ 志玄安楽経に2回。
蘆訶寧倶沙 ➡ 尊経に1回。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教のたどった道―東周りのキリスト教』(キリスト新聞社、2005年)
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