3. 景教徒たちの神(エロヒーム)、主(ヤハウェ)理解
少ない資料から語句を選んで分析し、「神」についてまとめてみました。
① 三一の神
景教徒たちは主なる神を「三一」と表記し、聖書の神を三位一体神と告白していました。大秦景教流行中国碑や三威蒙度讃、尊経に三一との表現が出ます。これは古代教会の三一神信仰を受け継いでいたと考えます。
② 父なる神
父なる神についての表記は種々の文字で記しています。
父 ➡ 世尊布施論に6回。
慈父 ➡ 大聖通真歸法讃に2回、三威蒙度讃に4回。
皇父 ➡ 尊経に1回。
序婆(ヤハウェ)➡ 序聴迷詩所経に1回。
一神 ➡ 一神論の喩第二に37回、一神論の一天論第一に27回、一神論の世尊布施論に20回。
天尊 ➡ 景教碑に2回、一神論の一天論第一に7回、一神論の世尊布施論に4回、序聴迷詩所経に62回。
妙身 ➡ 景教碑に1回、尊経に1回。
以上、表記数は、計175回です。
これらから、景教徒たちの神信仰は、父なる神を第一位格としてあがめていました。三位格の混同や優劣、融合があれば異端となります。
慈父としてあがめる根拠は、御子イエス・メシアの説教に基づくことと考えます。
父なる神を皇父とあがめ、皇の字の意味は玉に大きな光が輝く栄光の冠のことで、万物の主宰者に使っていました。中国では紀元前3世紀に秦の始皇帝が皇帝の称号を使い、日本では天皇が称号を使ってきました。
紀元後のローマ帝国の皇帝はキュリロス(主)とあがめていましたが、使徒パウロがローマの教会に送った書簡の10章9節以降で、イエスを主(キュリロス)と告白することは迫害や殉教を受けることを意味し、多くの主の弟子たちは殉教しました。
同様に、中国皇帝支配の中で景教徒たちは、父なる神を皇父とし、御子イエスを皇子と告白しました。このことから、人を恐れたのでなく、真の神、主を第一として恐れていたことを知ることができます。(聖霊は父と子を証しする方と告白していました。)
一神の表記が多いのは、一神論の記述内容が多くの無神論者中国人に向けて、聖書に啓示された真の神を知るための弁証論として書かれたからです。つまり神は多神でもなく、無神でもなく、万物の創造主であり支配者で、生きている神として伝える目的がありました。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教のたどった道―東周りのキリスト教』(キリスト新聞社、2005年)
◇