京都府の京都文化博物館で1994年に「大唐長安展」が開催され、3メートルほどの高さの大秦景教流行中国碑の拓本が展示されました。見る人にとっては大変な大きさで驚いたことでしょう。
しかも約1800字の漢字の内容が、聖書の創世記からメシアの降誕、教会の誕生、聖霊によって世界に福音が伝わり、唐代の中国にまで伝えられていたことが書かれ、太宗皇帝ほかに主の教えを伝えたとシリア語でも書かれていたことがさらに驚きでした。
京都と唐代中国は大きな交流があり、平安時代に京都の町づくりの土台になったのが長安、今の西安でした。京都と長安は多くの人や文物が往来し、遣唐使もその一つでした。
2002年には日中国交正常化30周年を記念して、シルクロード展が東京や大阪で開かれ、当時のキリスト信徒の十字墓石もあり、ひときわ衆目を集めていました。
京都市右京区太秦森ケ東町50番地に蚕ノ社(かいこのやしろ)があります。その社の奥には石柱で作られた三柱(みつばしら)鳥居があり、江戸時代には木製であることが葛飾北斎の絵(『北斎漫画VOL. Ⅰ「江戸百態」』)で分かり、かなり以前から設置されていたことも分かります。この絵には、神道の紙垂(しで)はありません。
またここの由緒書きには、ここが古代キリスト教景教徒の礼拝場所と書かれています。鳥居の下で洗礼式をしたのではないかと思います。平安時代から遣唐使や多くの往来があった京都で、キリスト教のそれらしき遺跡が発見されるならうれしいことと思います。
京都には寺社が多くありますが、京都に行かれた際は、蚕ノ社を見学されるなら往時を偲ぶことでしょう。お勧めしたいところです。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教のたどった道―東周りのキリスト教』(キリスト新聞社、2005年)
『北斎漫画VOL. Ⅰ「江戸百態」』(青幻舎、2010年)
◇