日本の文化の源流の多くは江戸時代以前まで、西アジアや東アジアを通して往来したもので、その道はシルクロード(陸路)やシールート(海路)にありました。奈良時代以前から東アジアの文物、文化、宗教などが流入し、多くの文化人も渡来し、文化や国土を築く一端を担ってきました。それらは『続日本紀』などに記されています。
今、シルクロードやシールートを世界遺産としてユネスコに登録しようと中国と韓国の知識人が働き掛けています、2014年には「長安・天山回廊の交易路網」が世界遺産としてユネスコに登録され、さらに韓国の慶州までシルクロードが来ていたことから、昨年それに関したユネスコの国際会議が韓国で開催されました。
日本ではシルクロードに関係する世界遺産と認定されたものに、奈良、京都、滋賀の各県の建築や文物があります。中学や高校の教科書にも奈良の正倉院に伝来したペルシャのガラス器などが掲載されています。私たちが知るシルクロードの文物の一つです。
また、有名な風神の絵は遠くギリシャが起源で、そこに原画が描かれ、それが敦煌(とんこう)でも描かれ、日本に流入し、幾人かの画家や彫刻家たちによって紹介されてきました。
法隆寺には「四天王獅猟文様錦」があり、この文様はギリシャ系のササン王朝ペルシャの影響があり、ホメロス2世(589~628年)が刺繍されているといわれ、ペルシャなどの西アジアの色彩の濃い絹織物が伝わりました。7世紀の朝鮮半島の北部には高句麗があり、570年から666年の期間、23回も日本に使者を派遣し、文物の伝来がありました。
旧約聖書のエゼキエル書や新約聖書のヨハネの黙示録には絹の文字があり、イザヤ書49章12節の「シニムの地」とは一説にシナ(中国)ではないかともいわれます。またイスラエルより東方地域から多くの民族が来ることの預言もあり、絹が中国との交易の一つになって西アジアとつながっていたと考えます。
さて、『日本書紀』には七枝刀(ななつさやのたち)の表記があり、奈良の石上神宮で発見された国宝の鉄剣と共通し、古代イスラエルが使用していた七つの燭台(メノーラ)に少し似ていることから、これにヒントを得て制作したのではないかとも考えます。
数年前、唐代の十字架を描いた墓誌銘が洛陽で発見され、ソグド人のキリスト者のものと分かりました。
奈良や京都など、日本の各地には古代史のロマンがありますが、中国や韓国など東アジアから日本に持ち運ばれた古代キリスト教関係のものが見つかれば大きな歴史の大発見になることと思い、期待しています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教のたどった道―東周りのキリスト教』(キリスト新聞社、2005年)
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