直木賞受賞者の海音寺潮五郎(本名:末富東作、1901~1977年)は鹿児島県伊佐市に生まれ、1954年に発表した『蒙古来たる』の後記(1969[昭和44]年)には、キリシタン以前に日本に到来したキリスト教が景教であることを知らない評論家と歴史作家の間で、小説に登場するペルシャ人の景教徒をめぐって大きく意見が分かれ、海音寺と小説家の間にも亀裂が生じたと書きます。
彼は非難した評者たちに対して反論し、著作背景を詳細に述べ、景教徒の一部が蒙古族に追われて来日していただろうことを書きました。しかし、著書には詳しい景教の布教状況や聖書の言葉などはありません。
陳舜臣(1924~2015年)は、大阪外国語学校でインド語やペルシャ語を専攻、一学年下に司馬遼太郎がいました。彼は直木賞など多くの賞を受賞する中国の歴史小説家で、『曼陀羅の人 空海求法伝』(1984年)には、遣唐使として中国唐の長安(今の西安)に入った空海が、祆教(ゾロアスター教)や回教(イスラム)の会堂に出掛けて指導者に出会ったことやいろいろな会話を描きます。
さらに長安にいたインド僧の般若三蔵に伴われ、長安城内の一画の義寧坊に建っていた景教会堂の大秦寺に出掛けて大秦景教流行中国碑の撰述者で中国の指導者の景浄に会い、景教について聞いたと書いています。会話の内容について一切書かれていませんが、これが信仰者との違いかと考えます。
写真は中国西安市の西安碑林博物館に設置されている781年に建碑された大秦景教流行中国碑(著者が撮影)。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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