天使やサタンに関して唐代の景教徒たちはどのように理解し、伝えていたのか。(右の文字はサタンを「娑弾」と漢訳、景教碑の拓本の一部)
天使に関しての用語は、「飛仙」と「神天」があり、「飛仙」は一神論の中の一天論第一に2回、同世尊布施論に2回出ます。「神天」は大秦景教流行中国碑に1回、大秦景教宣元本経に1回出ます。
サタンに関しての用語は、「娑弾」が景教碑に1回、「娑多那」が一天論第一に1回、「参怒」が一天論第一に1回、「悪魔」は一天論第一に25回、世尊布施論に7回出ます。
特に「悪魔」の数が多いのは、中国の宗教事情を反映し、信徒たちが悪魔や夜叉(やしゃ)などの仏教習慣に惑わされないように忠告したことが分かります。
景教碑には仏教徒から非難されていたことが書かれてあり、唐代皇帝の宗教が道教で、社会は寛容であった中、途中から仏教徒の中国史上唯一の女帝・則天武后(在位670~705)が支配することになるや、道教よりも仏教を優先したことから、聖書の教えを告白する景教徒たちが邪魔になったのではないかと思います。
この則天武后の時代には則天文字を作り、則天武后をあがめるなど多くの変化もあり、そんな中での信仰生活の一部が碑文に刻まれ、ペルシャ本部からの有力な指導者が唐に来て信徒たちを励まし、力づけたことを記しています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教のたどった道―東周りのキリスト教』(キリスト新聞社、2005年)
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