中国唐代のイエスを信じていた景教徒リーダーの名称について
どの時代にも、どの教会共同体にも、信徒数が増加すれば教会組織の運営・管理がなされていきます。
主イエス様は、まず主のしもべである使徒たちを選んで信仰の訓練と霊的な力を与え、神の言葉の宣教によってイエスを主キリストと信仰告白した神の国民を信仰の一致に導き、昇天された後も教会が主イエス様のために働けるよう指導しました。
初代教会の組織には、使徒、預言者、牧師、教師、監督、長老、執事、巡回説教者などが立てられていました。(新約聖書の福音書やパウロの手紙他に掲載)
さて景教会衆の指導者の名称について紹介します。「大秦景教流行中国碑」の文章にはシリア語で肩書が彫られています。(拓本の一部で紹介)
漢訳すると、大司教、総主教(パパシュ)、上徳、大徳、長老、法主、執事長、僧などとあります。僧と書かれた肩書のある人物はシリア語名も書かれ、約70人以上の名前が彫られています。しかし、僧といっても当時はどの宗教教団の指導者も僧と呼んでいました。現代は、僧の肩書は仏教指導者だけのものですが、当時はイスラム教も含め全ての宗教指導者は、僧、大徳、上徳とも呼んでいました。
紀元635年、ペルシャから唐に布教のために派遣されてきた初代宣教師の阿羅本(アラベン)は、大徳、大法主とも呼ばれていました。
現代人が現代的な文字感覚で読むなら大きな誤解を招き、仏教の影響を受けたとも言いかねません。そうした当時の社会事情を知ることにより、当時の文章を読み解く上で、正しい理解を得ることになるでしょう。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教のたどった道―東周りのキリスト教』(キリスト新聞社、2005年)
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