「ブルガリア・イコンの世界」という展示が、大阪府枚方市のアート・サロン「ムーザ」で5月8日まで行われている。ブルガリアの美術館に所蔵されている国宝級のイコンの写真や、ブルガリアを代表するイコン画家が作成した実物のイコンなど、日本では目にすることも珍しい貴重なコレクションを見ることができる。
JR「長尾」駅から5分ほど歩くと、辺りはわずかに田園が残る住宅街。オーナーでロシア語翻訳者の片山ふえさんにご案内していただき門をくぐると、美しく整った庭が広がり、小鳥が木になったミカンをのんびりとついばんでいて、思わず心がほっとほころんだ。
このアート・サロン「ムーザ」の一角で展示されているブリガリア・イコンのコレクションは、ふえさんのご主人、片山通夫さんが集めたものだ。通夫さんはフリーの報道カメラマンとして、中国の文化大革命やベイルートで日本赤軍の重信房子氏の単独インタビューを手掛けるなど、取材で世界を飛び回って活躍した。
その後15年のブランクの後、1990年代初頭には、ソ連崩壊後の激動の東欧を取材するために何度もブルガリアを訪れた。そこで出会ったのがブルガリア・イコンだったという。その後、大阪外語大でロシア語を専攻したふえさんが通訳となり、夫婦で何度もブルガリア各地を訪れ、正教会の門外不出のイコンや美術館に展示されている国宝級のイコンを撮影して回った。
イコンの修復を手掛ける、ブルガリアを代表するイコン画家のストヤン・ネデフさんとも出会い、交流を持つようになった。東京の丸善で「ブルガリア・イコン展」を開催したこともあるそうだ。
ブルガリアは、第二次世界大戦でナチス・ドイツと軍事同盟を結び、枢軸国として参戦するが、1944年にはソ連軍によって占領され、衛星国家として共産党政権が樹立された。共産政権下では反宗教プロパガンダが展開され、多くの聖職者が暗殺、投獄されたものの、政府のコントロール下でも、民衆の心の中では正教の信仰は根強く受け継がれ、教会は細々と生き残った。
共産党政権の崩壊によって教会は息を吹き返し、現在でも国民の8割以上が正教を信仰している。国内には多くの修道院が残り、国内最大のリラ修道院は、ブルガリアの精神文化のシンボルとして尊敬されている。
正教会では、イコンはそれを通して神の国を見る「天国の窓」であるとされ、典礼の中ではその前にひざまずいて祈りをささげ、イコンに接吻(キス)して崇敬を表す伝統がある。
イコンの制作はシナノキやモミの木の板材がよく使われる。裏を木材で補強し、中央を少しくぼませる。そして表面に何層もの膠(にかわ)をしみこませ、石膏の粉とまぜたものを塗って乾かし、表面を磨く。その上に、手引書やほかのイコンから作成した下絵を写していく。顔料を卵の黄身でといたテンペラが使われ、背景を塗っていく。最後は、表面に油性のニスが塗られる。(参考文献:『ロシア正教のイコン』[オルガ・メドヴェドコヴァ著、黒川知文監修、遠藤ゆかり訳、2011年、創元社])
共産政権下でも、イコンは教会に附属した工房などで細々と制作技術が受け継がれてきたという。色・形・構成などに定められた様式があり、伝統を守って描かれる。国宝級のイコンを修復・作成できる職人はかぎられており、片山さん夫婦が出会ったネデフさんもその一人で、国内では第一級のイコン画家だという。
「ネデフさんは制作をする際には、みそぎをして体を清め、ひたすら神様に祈って黙想を続ける。そして描こうとする聖人が夢枕に立ち『描け』と命じられて初めて制作を始めるそうです」と片山さんは語る。
ネデフさんは函館のハリストス正教会に依頼され、約2メートルの「聖ニコライ」のイコンをブルガリアで描き上げ、奉納したこともあるという。
ストヤン・ネデフさんのホームページでは経歴や制作したイコンを見ることができる。
ふえさんによると、ブルガリア・イコンはロシア・イコンとも微妙な違いがあるという。
例えば、「聖メナス」(St Menas、1850年、キリストの変容修道院所蔵)のイコンでは、エジプトの聖人、アレクサンドリアのメナス(285年~309年)が描かれている。メナスはエジプトのメンフィスの近くで生まれ、ローマ軍に入隊するが、皇帝のキリスト教の迫害の中、キリスト教徒であると告白したため、拷問を受け殉教したとされている人物だ。超教派の祈り、テゼの祈りの集いでは、しばしばキリストがメナスの肩に手をかけた「友情のイコン」のレプリカ(現物はパリのルーブル美術館所蔵)を前に並べて祈りがささげられるが、同じ人物だ。
「聖メナ(メナス)のイコンは、ロシアでは見たことがありませんが、ブルガリア・イコンではよく描かれるようですね」と片山さん。「私はクリスチャンでもないし信心深くはないのですが、神様はいると思っています。そして、イコンは絵として言葉にできない魅力をとても感じるんです。前に座って見つめていても飽きないし、とても身近に感じます」
東方教会において、イコンはこよなく尊重されている。礼拝中にイコンの前で十字を切り、接吻し、家にも掲げられる。人々の生活の中に溶け込んだ信仰の表れだ。イコンを見るとき、その素朴さと歴史と力強さが、見る私たちに知らず知らずのうちに何かをやさしく訴えかけてくるのかもしれない。
関西に住む方は、ぜひ足を延ばしてみてもらいたい。普段とは少し違う、穏やかな時間を体験できることをお約束する。
問い合わせは、大阪府枚方市長尾元町2‐7‐6のアート・サロン「ムーザ」(電話:072・866・9880、ホームページ)。JR「長尾」駅から徒歩5分。もしくは京阪「樟葉」駅からバスで25分。
※補足:ブルガリアと正教の歴史
ブルガリアのキリスト教の歴史は、1世紀に使徒パウロによってバルカン半島で宣教が行われたことに始まるとされ、4世紀には大きく広がった。865年に第一次ブルガリア帝国のボリス1世(852~889年)がギリシア正教の洗礼を受け、その後国教として定められ、独立正教会の地位を獲得する。
その後、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)に併合され、一時的に独立するが(第二次ブルガリア帝国)、1878年に露土戦争でオスマン帝国が敗北し、サン・ステファノ条約でブリガリアは独立する。その後はバルカン戦争、第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦ではナチス・ドイツと軍事同盟を締結、1944年にソ連の侵攻を受け、ソ連の衛星国家として共産党が政権を握った。
共産政権下では、反宗教プロパガンダが展開され、多くの聖職者が暗殺、投獄され、教会財産も接収されるが、1953年以降教会に返還され、政府のコントロールの下教会は生き延び、民衆の間でも信仰は根強く受け継がれてきた。現在でも多くの教会、修道院があり、ピリン山のロジェン修道院、ビトシャ山のドラゴロフ修道院、古都ヴェリコ・タルノボにも多くの修道院が残されており、国民の8割以上がブルガリア正教を信仰している。