歴史と現代に見る事例から世界の諸正教会の姿を概観しようと、ユーラシア研究所(東京都世田谷区)は12日、立正大学品川校舎(同品川区)11号館8階第6会議室で、日本ハリストス正教会教団の東京復活大聖堂教会(同千代田区、通称ニコライ堂)司祭のクリメント北原史門神父を講師に、ユーラシア・セミナー「世界中の独立正教会と自治正教会」を開催した。
「いろんな世間におけるステレオタイプ―正教会というのは皇帝教皇主義であるとか、正教会はギリシャ正教会とロシア正教会であるとか、ロシア正教会は正教会の盟主であるとか―、そういったことがいろんな事例で矛盾を生じさせる、大変誤ったステレオタイプであるということをいろいろ申し上げてきたところであるが、そういったことを前提にして、ご研究いただいた内容をさらに私もこれからも勉強させていただきたい」と、北原氏はこの講演の終わりに約40人の参加者に対して語った。
近著に『正教会の祭と暦』(群像社、2015年)がある北原氏は、講演の初めに「正教会入門」として、教会の正当性認識の違いを樹形図で表し、「正教会は『どこからか分かれた』という自己認識を持っていない」とし、「東西教会の分裂は『時点』で画定したものではないと述べ、「『1054年』はあくまで目安」だと付け加えた。
「(東西教会には)さまざまな相違があるが、どれが本質的な違いかについて、議論が分かれる」と北原氏。「一つの問題が解決したからといって、すぐに『教会の統一』には至らない」と述べ、違いの例として、フィリオクェや教皇制、原罪観、司祭・輔祭(助祭)の妻帯などを挙げた。
また、北原氏は教えの源泉と、西方教会との違いについて述べ、正教会は「一つの聖なる公なる使徒の教会」(二ケア・コンスタンティノポリ信経より)を自認していると北原氏は述べた。また、「正教会における教えの源泉=神からの啓示、神からの啓示そのものであるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)、彼が使徒たちに与えた信仰や教え、その継承としての聖伝であり、聖伝の中に聖書が含まれる」と説明。
そして北原氏は、聖伝を構成するものとして、「◇聖伝の本質=教会を形成していく人々の生きた体験の記憶、◇新旧約聖書、◇七回の全地公会議決定による確認、◇地方公会(教会会議)決定による確認、◇信経、教義議定、◇奉神礼(十字を画(か)く動作、祈祷文なども含む)、◇聖歌やイコン、教会建築などの教会芸術、◇教会法、◇聖師父の教え・聖人伝」があると述べた。
「聖書だけ読めば、正教会のことが分かるわけではない」と北原氏は付け加え、例として「我は生命の餅なり」イオアン(ヨハネ)福音6章が聖体機密を指すと捉えるのは、聖伝によることを挙げた。
次に、北原氏は神品(聖職者)の基本的理解について述べた。「正教会には主教・司祭・輔祭の三つの神品職がある。これに副輔祭や堂役などを加えたものを教衆という」と同氏は説明。「輔祭に叙聖される前であれば、結婚可能。輔祭・司祭は妻帯可。妻帯した教衆を『白教衆』という。『白僧』と訳されることもあるが、あまり適切ではない」と述べた。
北原氏はまた、「修道士の中には、修道輔祭、修道司祭がいる。また主教は必ず修道士。これらを『修道教衆』という。『黒僧』と呼ばれることもあるが、あまり適切ではない」と説明した。
北原氏によると、「妻帯司祭が、妻の永眠後に修道司祭になり、その後主教になるケースは珍しくない」といい、その例として同氏はアラスカの聖インノケンティ(モスクワ府主教)を挙げた。
「訳語として『白僧』『黒僧』があまり適切でないのは、『僧』が何を指すか不明瞭だから」と北原氏は説明。「教衆ではない修道士も黒衣を纏(まと)うが、日本語で『黒僧』というと、これら神品になっていない修道士も含まれるかのような字面となっている。また、妻帯した教衆と修道教衆の両方に、『僧』という、同じ文字を当てて呼んでよいかも疑問」だという。
「総主教・府主教・大主教・主教といった序列を示す称号が三職それぞれにある」と北原氏は述べ、ギリシャ系の教会では大主教が府主教より上位であると付け加えた。「しかし主教は全て対等というのが出発点としての理解(現実問題は別として)。従って、総主教といえども、主教に対しての手紙は『勅令』『命令書』ではなく、敬称を伴った要請文の形をとる」と北原氏は述べたが、「ただしこの敬称にもさまざまなランク付けがある」という。
北原氏はまた、「対等に結び付き合っている、世界各地の正教会」について説明した。それによると、古代総主教庁にはコンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁(アンティオキア正教会)、エルサレム総主教庁があるという。「これらに分裂前のローマ・カトリックを加えて、『五大総主教』が6世紀ごろに確立した」と、北原氏は説明した。
また、首座主教が総主教である独立正教会には、ロシア正教会、サカルトヴェロ正教会(グルジア正教会)、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会があると北原氏は説明。一方、首座主教が総主教ではない独立正教会には、キプロス正教会、ギリシャ正教会、アルバニア正教会、ポーランド正教会、チェコスロヴァキア正教会、アメリカ正教会があると述べた。このうち、首座主教は、前者三つでは大主教、後者三つでは府主教と呼ばれるという。
そして、自治正教会には、シナイ山正教会、フィンランド正教会、日本正教会、中国正教会、エストニア使徒正教会があるという。「ただし日本、中国、エストニアについては、地位の承認が一部にとどまる」と、北原氏は注を加えた。
北原氏は次に、正教会は「教えは同じ」で「組織は別」であると述べ、事例からその基本を説明した。「全世界の正教会の信者は、他の正教会に行っても、同じく正教信者として扱われる」と北原氏は述べ、「ニコライ堂には、日本人信者はもちろん、在日ロシア人、在日ウクライナ人、在日ルーマニア人などが多数参祷している」と語った。セルビア人、ギリシャ人は絶対数が少ないため、わずかだという。「ロシア正教会駐日ポドヴォリエが駒込と目黒に所在しているが、同教会の神品(聖職者)・信者も、時々ニコライ堂に陪祷・参祷しに来る」と、北原氏は述べた。
北原氏によると、ロシア正教会駐日ポドヴォリエをはじめ、世界各地の正教会との通信・交流は、日本正教会では「渉外担当者」の役割となっており、諸外国における正教会も同様だという。
北原氏はまた、セルビア正教会の掌院であった聖イウスチン・ポポヴィッチ(1894~1979年、ユスティン・ポポヴィッチ)が、オックスフォード大学に提出した博士論文は『F・M・ドストエフスキーの哲学と宗教』であり、ドストエフスキー関連の著書もあると紹介した。
北原氏は、正教会は「教えは同じ」「組織は別」という原則の事例を紹介した。「サカルトヴェロ正教会の首座主教であるカトリコス総主教イリア2世は、ロシア正教会最大の修道院である至聖三者聖セルギイ大修道院に設置されているモスクワ神学大学で学び、そこで修道司祭となり、1960年に卒業している。2008年12月には、アレクシイ2世の永眠に際してモスクワを弔問に訪れた(8月戦争よりも後のこと)。8月のロシア・サカルトヴェロ戦争の最中には、イリア2世もロシアを批判する発言をたびたび行っている。『教えは同じであり、関係修復にも動くが、第一には教区民のために働く』という主教の行動原理通り。類例としてオフリドの聖フェオフィラクト(1050年代~1107年ごろ)、日本の聖ニコライなどがある」と、北原氏は述べた。
主催者のユーラシア研究所は、この集会についての案内文の中で、「『ロシア正教会』は、『世界の正教会の「盟主」』ではない。では何者が世界の正教会の『盟主』なのか」と記していた。これに対し、北原氏は、正教会における「盟主」とは誰かについては、「単純な回答はない」と語った。
「教会の首(かしら)はイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)(新約エフェス書1章22節、正教会訳)。これは単なる建前・理想論としてではなく、実際に議論の前提として機能している」と北原氏は語った。「『平等者中の第一人者』としてコンスタンディヌーポリ総主教(全地総主教)がいる。その『平等者中の第一人者』の権限範囲について、少なからず議論が発生している」
北原氏は続いて、独立正教会・自治正教会・自主管理教会の違いについて説明した。まず独立正教会と自治正教会の違いについて、独立正教会は「首座主教を自分で選立でき、首座主教に選ばれた者は他正教会からの許可や祝福を必要とせずに着座することができる。独立正教会の首座主教は、傅膏(ふこう)機密の際に使われる聖膏(せいこう)を成聖できる」と北原氏は述べた。
傅膏機密とは、北原氏によると、洗礼機密に引き続いて行われる機密(秘跡、サクラメント)。他教会の堅信礼に相当するが、正教会では洗礼と切り離さずに行うという。
自治正教会については、「普段の教会運営は自立している。しかし首座主教の交代時には、選挙の結果につき、母教会からの許可・祝福を必要とする。自治正教会の首座主教は、傅膏機密の際に使われる聖膏を成聖できないため、母教会から聖膏を受け取る。その他、重要な決定事項については、母教会と子教会間で交わされた文書や状況によってその都度異なる」と北原氏は説明した。
それから北原氏は、正教会の新しい組織種別として「自主管理教会」を挙げた。これは「1990年代に入って、ロシア正教会に導入された新しい概念。同様の概念が2003年に、アンティオキア総主教庁北米正教大主教区に導入されている」と北原氏は語った。
なお、北原氏によると、この「自主管理教会」という訳語は同氏による仮訳で、日本正教会の機関紙である正教時報でも使っているが、日本正教会における何らかの機関決議を経た正式な訳語はまだないという。
また、ロシア正教会規則XI-16に列挙されている自主管理教会には、ラトヴィア正教会、モルドヴァ正教会、エストニア正教会があり、同XI-17で、在外ロシア正教会に事実上、自主管理教会としての地位が与えられているという。そして、同XI-18で、ウクライナ正教会に「自治正教会の広い権を持つ自主管理教会」としての地位が与えられていると、北原氏は述べた。
そして、2003年10月20日に、自主管理教会の地位を、アンティオキア総主教庁の聖シノド(独立正教会・自治正教会における主教会議のこと)が、北米大主教区に対して与えたと、同氏は付け加えた。
さらに北原氏は、自主管理教会という新しい種別が登場してきた背景について、「新しく独立正教会・自治正教会の設立を許可するのが、誰に許された権限なのかをめぐり、見解の争いがある。『独立正教会内部における、あくまで内規扱い』の『自主管理教会』であれば、こうした教会外交上の軋轢(あつれき)をとりあえず回避しつつ、各地の実情に応じた自治権付与が実現できるという事情がある」と説明した。
「『独立』『自治』には双方で議論が分かれる場面で、暫定措置的に機能している場面もある」と北原氏は付け加え、その例としてモスクワ総主教庁系ウクライナ正教会を挙げた。
それから、北原氏は、教会法解釈と、個別教会の地位にかかる見解の差異の存在について述べた。同氏はまず、第四全地公会(カルケドン公会議)規則第28条は、コンスタンディヌーポリ総主教の特典について決議された内容であると説明し、その条文を紹介。そこに「唯ポント、アシヤ及びフラキヤ諸州の府主教并びに此諸州に属する異族民の主教等は前記コンスタンティノポリの至聖なる教会の至聖寶座に由りて立らる可し」とある中で、「『異族民(バルバロイ、ヴァルヴァリコス)』が指すのは他の総主教が管轄していない全ての民族であり、従ってコンスタンディヌーポリ総主教庁はそれらを全て管轄する権限がある」などとする見解がある。コンスタンディヌーポリ総主教庁がこれを採ると述べた。
「古くから同総主教庁でこうした解釈がされていた訳ではないとし、同解釈の発祥を、特に20世紀初頭、コンスタンディヌーポリ総主教等を歴任したメレティオス・メタクサキス(1871~1935年)に批判的に帰す見解がある」と、北原氏は紹介した。
一方で、「『異族民』が指すのは、あくまで小アジア周辺を想定したもの。また、中世までならともかく、近代以降の諸民族に『ヴァルヴァリコス』の語句を適用することには無理がある。そもそも全地総主教の権限がそこまで拡大し得るものであれば、『ポントス、アジア、トラキア云々』といった地名が書かれる必要はなかったのでは。また『ロマに与えられる特権』はあくまで名誉上のものであり、強い管轄権ではない」などとする見解があり、モスクワ総主教庁などがこれを採ると、北原氏は説明した。
続いて、北原氏は、「独立正教会・自治正教会の承認・祝福は誰が行うか」という問題に言及。「コンスタンディヌーポリ総主教庁等は、『独立正教会・自治正教会の設立にかかる祝福は、コンスタンディヌーポリ総主教が行わなければならない。なぜなら異族民(ヴァルヴァリコス)は全て同総主教の管轄下にあるから』とする」という。
これに対し、「モスクワ総主教庁などは、『独立正教会・自治正教会の設立にかかる祝福は、一総主教庁が単独で行える』とする」のだという。
「このような見解の対立が問題になるのは、コンスタンディヌーポリとモスクワの間に留まらない。サカルトヴェロ正教会はアンティオキア総主教庁から独立正教会位を得ている。『独立正教会位』『自治正教会位』を承認するのが『全地総主教の承認が要件』ということになれば、サカルトヴェロ正教会の独立正教会位も議論の的になる」と、北原氏は付け加えた。
そして北原氏は、独立正教会・自治正教会の諸実例を紹介した。
まずサカルトヴェロ正教会について、「466年に首座主教が『カトリコス』の称号を得、1010年に『総主教』位も得、以降、サカルトヴェロ正教会の首座主教は『カトリコス総主教』と名乗った。1811年にロシア正教会に吸収合併され、独立正教会位を喪失。1917年に独立正教会位復活を宣言するが、ロシア正教会からは承認を得られず。1943年に承認を得た(スターリンの政策転換の影響)。1989年にコンスタンディヌーポリ総主教庁から独立正教会を承認された(5世紀からの事実上の独立状態を『追認』した形)」と、その歴史について述べた。
次に、アブハジア正教会について、「2009年にサカルトヴェロ正教会から独立を宣言したが、ロシア正教会は2009年9月16日にインテルファクス通信に対し、『サカルトヴェロ正教会の領域を尊重する』旨を明らかにした。アブハジア正教会はロシア正教会を含めて、全世界の正教会から独立正教会としての承認を得られていない」と北原氏は述べた。
一方、アメリカ正教会と日本正教会について北原氏は、「1970年にモスクワ総主教庁が、アメリカ正教会に独立正教会位を、日本正教会に自治正教会位を承認・祝福した際、コンスタンディヌーポリ総主教庁は反発。2016年2月11日現在に至るまで、コンスタンディヌーポリ総主教庁は両教会の『独立』『自治』を認めていない」と説明しつつ、「ただし両教会について、コンスタンディヌーポリ総主教庁も『教会法上合法ではある』とはしており、交流は断っていない」と付け加えた。
ここで「合法ではあるが地位は承認しない」とはどういうことかについて、北原氏は、「ある教会組織が『教会法上合法』であるとは、(異論もあるが、おおむね)『母教会とのつながり、母教会からの祝福がある』ことと理解されている」と説明。「従って、コンスタンディヌーポリ総主教庁は、アメリカ正教会と日本正教会につき、『ロシア正教会の一部であり、教会法上合法な正教会ではあるが、独立教会でも自治教会でもない』と見なしている」と述べた。
それから、エストニア正教会・エストニア使徒正教会について、北原氏は、「エストニアの正教会の多数派はモスクワ総主教庁の下にあるが、一部がソ連崩壊直後にコンスタンディヌーポリ総主教庁庇護下に入り、『エストニア使徒正教会』の名で自治正教会となった。モスクワ総主教庁は激しく反発し、コンスタンディヌーポリ総主教庁と同庁の間で一時は没交渉にまで陥るほどの対立が起きたが、現在ではコンスタンディヌーポリ総主教がロシアを訪問(2010年)するなど関係は改善している」と説明。「なお、エストニア正教会は、先述の通り、モスクワ総主教庁内の自主管理教会となっている」という。
そして北原氏はベラルーシ正教会について、「通称『ベラルーシ正教会』は、正式には『モスクワ総主教庁のベラルーシのエクザルフ教区』に留められている。2014年12月に同教区は、自主管理教会としての地位をモスクワ総主教庁に要求することを決議したが、2016年2月11日現在、いまだ承認されていない」と説明した。
さらに北原氏は、この講演の結びとして、「正教会はギリシャ正教会とロシア正教会」「ロシア正教会が正教の盟主」などとしてしまうと理解不能になる、歴史上の事例と現代の事例を九つ挙げた。
まずその一つ目の事例として、北原氏は、オスマン帝国旧領で19世紀に発生した、独立正教会復興および新規設立の問題を挙げ、「バルカン半島の独立正教会(10世紀のブルガリア正教会、13世紀のセルビア正教会)は、コンスタンディヌーポリ総主教庁を母教会として成立」したと説明。「オスマン帝国支配下で紆余曲折を経て廃止・統廃合されていたこれらの独立正教会位につき、19世紀に復活(ブルガリア正教会・・・1872年宣言、1945年被承認、セルビア正教会・・・1879年被承認)する際に問題になったのも、コンスタンディヌーポリ総主教庁との関係であり、モスクワ総主教庁は(少なくとも直接には)介在していない」と述べた。
二つ目の事例として北原氏は、ウクライナにおける管轄権問題の歴史と現在を挙げ、「『キエフおよび全ルーシの府主教座』がウラジーミル(1299年)、さらにモスクワ(1328年)に遷座。他方、ハールィチ(ガーリチ)にもコンスタンディヌーポリ総主教庁により府主教座が設置されるなど、14世紀に最初のルーシ『分裂』が起きている」と述べた。
「1458年から1596年(ブレスト合同の年)まで、そして1620年から1686年までは、コンスタンディヌーポリ総主教庁がキエフ府主教を選立していた」と北原氏は指摘した。「ウクライナ東方カトリック教会が誕生したブレスト合同時、合同反対派の会合に出席していたのは、モスクワ総主教庁ではなく、コンスタンディヌーポリ総主教庁とアレクサンドリア総主教庁の使節」で、「後者がキリロス・ルカリス」という主教だという。
「1686年に、キエフ府主教座はロシア正教会に組み込まれたが、これはロシア国家の領域拡大に伴うものであり、『ロシア正教会が盟主だから』というものではない」と北原氏は述べ、「つまりロシア正教会は、近隣であるウクライナにさえも、領域を超えた影響力を持ち得なかった」と付け加えた。
2016年2月現在、ウクライナには「モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会」「キエフ総主教庁」「ウクライナ独立正教会」があり、このうち「教会法上合法」と多数派正教会から見なされているのは、最初のもののみであると、北原氏は説明した。
「母教会から承認されていない組織は教会法上非合法であるという主流派の見解により、『キエフ総主教庁』『ウクライナ独立正教会』は主流派正教会から承認を得られていない」と北原氏は述べつつも、「神品の陪祷は主教が判断し、一般信者は正教信者として扱われる」と付け加えた。
「2015年9月14日、『われわれは、ロシア人とウクライナ人を一つの民と考えている』と発言したことが伝えられた」と北原氏はインテルファクスによる報道に言及。「イェルサリム総主教セオフィロス3世に見られる通り、ギリシャ人の中には『ルーシを一つとして扱う』傾向を有する流れもある」と指摘しつつ、「ただし、そうではない流れもある」と付け加えた。
北原氏によると、ウクライナにおいては「親露でロシア正教会の一教区扱いを志向する」「親露で、現状の自主管理教会の状態を現状維持したい」「親露だが独立正教会ないし自治正教会位を志向する」「反露で、いずれ独立正教会になるべきであるが、手続きは守るべきだからモスクワ総主教庁系教会にとどまっている」「反露で、いずれ独立正教会になるべきであるが、手続きは守るべきだから、コンスタンディヌーポリ総主教庁系の在アメリカ教会・在カナダ教会と関係を持つ」「反露で、ウクライナ独立正教会に参加する」「反露で、キエフ総主教庁に参加する」など、さまざまなグラデーションを伴う見解と組織があり、二項対立に還元できない多項な見解があるという。
北原氏は三つ目の事例として、現在進行のシリア内戦における、アンティオキア総主教庁とモスクワ総主教庁などについて語った。
「シリアでは国民の1割がキリスト教徒とされており、そのうち約半数が正教徒であると目されている。すでにウォールストリート・ジャーナルが、2012年8月に、『シリア内戦において、シリアのキリスト教は生き残れるのか』と題して危機を報じている」と、北原氏は述べた。
北原氏によると、シリアにおける正教徒の指導者であるアンティオキア総主教イオアン10世は、2014年1月にモスクワを訪問。モスクワ総主教キリル1世と聖体礼儀を司祷し、会談した。「奉神礼に際しては、アンティオキア総主教イオアン10世の方が『上座に立つ』『イコンに先に接吻する』など、伝統的序列に従っている」という。
「内戦当初、アンティオキア総主教庁は政治的中立を保っていたが、反政府勢力支配下での神品・信者の殺害や拉致、教会や修道院の破壊などが頻発するに及んで、北米大主教区からはオバマ大統領宛ての批判メッセージが発せられ(2013年9月6日)、イオアン10世もアサド大統領支持の旗幟を鮮明にしていき、2014年12月には諸宗教の代表者と共に、諸宗教の寛容と共存を訴えることでアサド大統領と合意し、同じ写真に収まるに至っている」と、北原氏は述べた。
「東方典礼カトリック教会も同様の状況にあり、早くからフランシスコ教皇はシリアへのアサド政権側への武力攻撃に反対していた」と北原氏は指摘。同教皇がシリア情勢において早くからロシアと歩調を合わせていたことは、本紙が報じたと述べた(関連記事はこちら:教皇、プーチン大統領と友好的に会談)。
北原氏は、2015年6月に教皇フランシスコとプーチン大統領が会談し、この時の議題にはシリア問題も含まれていたことがフォーリン・アフェアーズ誌で報じられたことに言及。同年9月、教皇フランシスコが訪米し、オバマ大統領とプーチン大統領が会談、オバマ大統領と教皇が会談、そして、ロシアがシリア空爆を開始したと述べた。
「これらの会合がどれだけ国際情勢に影響を与えているか、程度問題における評価は分かれるであろうが、シリア情勢における『迫害される少数派キリスト教徒』の問題が、日本では捨象され過ぎではないか。『全人口の1割』は無視してよい勢力ではない」と、北原氏は主張した。
4番目の事例として、北原氏は、「西欧米にある正教会が直面する『正教の離散』問題」を挙げた。「主に西欧米において、移民たちによって民族別の正教会組織が設立されるケースが相次いでおり、悪くするとセクショナリズムやナショナリズムの過熱につながりかねないとして課題となっている」と北原氏は指摘した。北原氏によると、「ただそれら地域の正教会も無策であるわけではなく、連絡会議を設置するなどして、正教会としての一致の維持と、状況改善に務めている」という。
北原氏は次に、「なぜ『ロシア正教会が正教の盟主』といわれるようになったのか」について論じた。
「(モスクワは第三のローマであるとする)『第三のローマ論』がどの程度まで本気でロシア正教会で言われていたかはともかく(最初に言い出したのは、モスクワから征服された側である、プスコフの修道士フィロフェイ)、少なくとも全世界の正教会の公式見解とされたことはなく、現代のロシア正教会も(少なくとも日常的には)主張していない」と北原氏は指摘した。
「『1453年以降、ロシア正教会が盟主に』といわれることもあるが、ロシア正教会の独立正教会位は1448年宣言、1589年にコンスタンディヌーポリ総主教庁から総主教位と合わせて被承認。『承認されていない独立正教会が「盟主」』ということはあり得ない」と北原氏は語った。
北原氏によると、モスクワに総主教位が諸古代総主教庁から認められた際、その序列は第5位だったという。
「『国力の面から見て、1453年以降、ロシア正教会が正教会世界の中での最大実力者となった』とはいえるし、ピョートル大帝によるモスクワ総主教庁廃止という暴挙を他正教会が承認せざるを得なかった背景に、ロシアの国力があったことも否定できないものの、『盟主』とまでいえるかは甚だ疑問」と北原氏。「何より、総主教がいない独立正教会が、他の総主教庁よりも上位に座することは、『席順』という形式的にもあり得ない」と述べ、「何らかの『端折り』が発端?」との認識を示した。
次に、北原氏は、今年6月にギリシャのクレタ正教アカデミーで開催される予定の「汎正教会会議」(本紙記事では「全世界正教会会議」と表記、関連記事はこちら)について述べ、その前提の確認として、「(この会議は)『全地公会議』ではない。全地公会議を開催するのには、現時点では実現は限りなく不可能に近い。787年の第七全地公会以降、全世界の正教会の指導者が一堂に会する機会はなかった」と指摘した。
北原氏は「汎正教会会議」について、「先述の『正教の離散問題』など、現代正教会が直面する問題への取り組みが必要とされる中、開催は待望されていた」と語った。同氏によると、「しかし、『誰が議長を務めるのか』『誰が招集するのか』の段階で揉め、実現までに長い時間がかかっていた。今回もさまざまな形で異論や疑義は出ている」という。
そして、北原氏はローマ教皇と総主教たちとの会談について、「コンスタンディヌーポリ総主教とローマ教皇の会談において、コンスタンディヌーポリ総主教は『正教会の代表』として振る舞うことに、ローマ教皇の『箔付』を得ることになる。『教会合同』の具体的な進展は希薄」だと述べ、「非難合戦は止んだという以上でも以下でもない」との認識を示した。
「モスクワ総主教とローマ教皇の会談は、『教会合同』『宗教は皆仲良く』といった趣旨から、いわゆる『リベラル』な陣営からの期待が高いが、実際には『保守協働』の面が強い」と、北原氏は述べ、「すでにアメリカでもロシアでも、正教会とカトリック教会が『伝統的な家族観における一致』の面で、共同声明を出す事例が出てきている」と指摘。その例として2009年のマンハッタン宣言を挙げた(本紙関連記事はこちら:「マンハッタン宣言」米キリスト教指導者150人共同署名)。
そして最後に北原氏は、「付録」として、「ロシア正教会はロシア・ナショナリズムの牙城だ」みたいに言われてしまうことに、そう言い切れない事例として、中央アジアにおけるロシア正教会について言及した。北原氏はその中で、正教徒で近現代日中関係史(ウイグル研究)の研究者であるアレキサンドラ水谷尚子氏の文章を写真と共に引用。キルギス人に虐殺されそうになって逃げ場を失ったスンニ派イスラム教徒のウズベク人が、正教徒の街や教会に逃げ込み、助けられた話を紹介した。