ロシア正教会の現役府主教イラリオン・アルフェーエフ氏が作曲した「マトフェイ受難曲(マタイ受難曲)」の日本初演となる演奏会が1月30日、浜離宮朝日ホール(東京都中央区)で開催された。マタイによる福音書を題材に、弦楽器によるフーガと、合唱・ソリスト・福音記者役らによってロシア正教会で使われる教会スラヴ語で歌い交わす受難物語を、ロシアの作品を最も得意とする指揮者・渡辺新氏がオーケストラ・ナデージダを率いて演奏を披露した。
今回演奏された「マトフェイ受難曲」は2006年に作曲され、すでにロシアや旧ソ連圏を中心に「21世紀のマタイ受難曲」として高い人気を集めている。「マトフェイ」とは、ロシア語・教会スラヴ語によるマタイの表記「Матфей」を転写したものだ。よく知られているバッハの「マタイ受難曲」との大きな違いは、ロシア正教会の典礼における福音書朗読と同様のスタイルで演奏されることで、またそれが大きな特徴ともなっている。演奏は「最後の晩餐」「裁判」「十字架」「埋葬」の4部構成で行われ、この日は、渡辺氏が演奏会用に編成した20曲を演奏した。
演奏に先立ち渡辺氏は、作曲者イラリオン府主教から来日できなかった代わりに託された祝福のメッセージを伝え、その後、厳かな合唱と共に演奏会は幕を開けた。福音記者役を務めるのは、オーボエ奏者でもあるユーリ・イリン。ロシア正教会の典礼で使用されている教会スラヴ語訳のマトフェイ福音書第26~28章をほぼそのまま朗読する。「最後の晩餐」の場面から朗読は始まるが、冒頭の合唱ではイエス・キリストの「葬りの歌」と、母マリアの嘆きを伝える「嘆きの歌」が歌われ、これから始まる深い悲しみの旋律が会場に響き渡った。
同楽曲では、ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンの4人のソリストが登場した。最初に登場したのはメゾソプラノのヴァレンチナ・パンチェンコで、聖書に出てくる婚宴の例え話を暗示した内容を静かに歌い上げた。テノールの黒田大介は、ユダの裏切りを言及する場面を合唱と交互に朗唱形式で歌い、「埋葬」の場面では、冒頭の合唱と同じ「葬りの歌」をアリアで聞かせ、クライマックス感を高めていった。
バリトンのアレクセイ・トカレフは、イエス・キリストを知らないと言ったペテロの神への罪の告白をアリアで歌い、ソプラノの中村初恵は、十字架から降ろされたイエス・キリストを前にした母マリアの悲しみを歌った。「私の子であり、私の主。私の両目の明かりであり、私の最愛のイイスス(イエス)。私の喜びであり、私の春。私の太陽は沈みました」と切々と歌うソプラノは非常に美しく、聞く者の心に深い感動を与えた。
イラリオン府主教は07年に行われたインタビューで、正教会の受難理解について「十字架上のイエスの死を、戦慄の瞬間としてではなく栄光の瞬間として直視する」と述べ、「受難は悲劇ではなくそれに続く栄光への復活への通過点である」と話す。「マトフェイ受難曲」でこのことがよく示されているのは、苦しみを受けるキリストに対して、全曲を通して賛美をささげる合唱部分だ。この日の演奏会のために昨年1月に結成されたナデージダ合唱団は、初めから終わりまで神を賛美し、神の栄光と復活を丁寧に歌い上げた。
「来なさい。共にキリストのために嘆きの歌を歌いましょう。アレルヤ」の合唱で始まり、「主よ、私たちはあなたの死をたたえ、あなたの復活への信仰を告白します。アレルヤ、あなたに栄光がありますように」と合唱で終わった「マトフェイ受難曲」。指揮者のタクトが降ろされると、1時間半にわたり演奏された大曲に、会場から「ブラボー」の声と共に大きな拍手が送られた。
今回、ロシア正教会と関わりの深い楽曲を演奏するにあたり渡辺氏は、「ロシア正教会や、日本に住むロシア人たちに何か役に立ちたいと思っている」と話している。今回の演奏会は、第11回ロシア文化フェスティバル2016 in JAPANの公式プログラムの一つとして行われ、ロシアと日本の大きな架け橋となった。
演奏を聞いた人たちからは、「感動で涙がこぼれた」とか、「冒頭から心に響くものがあり、最後まで聞き入ってしまった」とか、「初めて聞いた曲だったが素晴らしい演奏だった」などの声が聞かれた。
指揮者の渡辺氏は演奏を終えて、「日本初演にもかかわらず大変多くの方に『マトフェイ受難曲』をお聞きいただけたことをとてもうれしく思っています。一人一人の心を掴(つか)む一心で舞台に立っていましたが、同時に私も掴まされていました。イラリオン府主教が言う『音楽の力』とはまさに魔法ですね。そこに言葉が重なったら訴えは強力です。その訴えを、さまざまな思いで聞きに来られた皆さんに届けることができたと信じています」と語った。