明治学院礼拝堂(明治学院白金キャンパス)で15日、オラトリオ「ヨブ」の演奏会が、同学院歴史資料館の主催で開催された。「ヨブ」全曲が演奏されるのは、1975年以来実に40年ぶり。この日は多くの人が会場に訪れ、貴重な演奏に耳を傾けた。
オラトリオは、17~18世紀に主に欧州で発展した宗教的・道徳的な内容を題材とする劇音楽。現在でもクラシック音楽の主要ジャンルの一つとして愛好され、日本ではヘンデルの「メサイア」が有名だ。歴史資料館の説明によると、「ヨブ」は、教会音楽家の安部正義氏(あべ・せいぎ、1891~1974)が、戦前から太平洋戦争末期にかけて完成させた日本初のオラトリオ。明治学院の教授でもあった安部氏は、約15年の歳月をかけ、人間の苦難と神との関わりをつづった物語、旧約聖書・ヨブ記を題材としたこの大作を作り上げたという。
「ヨブ」が初めて演奏されたのは1967年。初演も再演と同じ明治学院礼拝堂だった。長い間埋もれていた「ヨブ」は、歴史資料館の研究調査員・加藤拓未氏によって発掘され、今回、作曲家の堀内貴晃氏による「室内楽バージョン」として、21世紀にふさわしい新しい「ヨブ」として演奏されることになった。
演奏開始1時間前から、礼拝堂前にはチケットを持った人たちの列ができ始め、午後2時半の開場とともに、待ちわびていた多くの人たちで礼拝堂の席はたちまち埋まった。そして3時。満席となった礼拝堂で歴史的な演奏が始まった。
独唱・合唱・室内楽によって奏でられるオラトリオ「ヨブ」は、2時間に及ぶ大作。作品における最初のクライマックスは、ヨブ役のバリトンが歌う「我裸にて母の胎(たい)を出でたり。又裸にしてかしこに帰らん。エホバ与え、エホバ取り給う。エホバの御名は讃(ほ)むべきかな」だ。
そのあと、安部氏が作曲した有名な讃美歌「馬槽(まぶね)のなかに」の旋律に乗って、「エホバ与え、エホバ取り給う。エホバの御名は讃むべきかな」とコラールが続く。このコラールは、演奏中繰り返し現れ、「ヨブ」の最大の魅力となっている。
歴史資料館では、「当時の聴衆は大いに感動し、演奏会の最後は讃美歌『馬槽のなかに』をオラトリオの歌詞(旧約聖書「ヨブ記」のことば)で大合唱し、この記念すべき作品の誕生を喜んだそうです」と説明している。
今回の演奏会でも、アンコールの中で、指揮者・安積道也氏の呼び掛けにより、全出演者と聴衆全員が、「エホバ与え、エホバ取り給う」を、初演の時と同じように合唱した。「ヨブ」の中で奏でられた「馬槽のなかに」の旋律が、大合唱となって礼拝堂に大きく鳴り響いた。
礼拝堂を埋め尽くした観客は、2時間にわたる長い演奏会であったが、途中誰一人として席を立つことなく、最後の「エホバ与え、エホバ取り給う」を共に合唱した。演奏前の主催者側のあいさつの中では、安部氏がヨブの苦しみと自分の苦しみを比較していたことや、空襲の中でも「ヨブ」の楽譜を肌身離さず持っていたことが紹介された。
自身も合唱をしているという60代の女性は、「メロディーが日本的でとても親しみやすかった」と言う。安部氏が出版譜の序文に記した「誰にも分かり易く、聞いて直感できる曲にしたかった」という思いに重なる。40年たっても、安部氏が「ヨブ」に込めた思いは息づいている。
今回演奏会を主催した明治学院歴史資料館には、安倍氏がアイディアを書き留めたメモや未完成の楽譜など、「ヨブ」に関する資料が数多く所蔵されている。中でも自筆総譜は、ブルーブラック色のインクで実に美しく仕上げられ、まるで美術品を見るようだ。これらの資料を見るだけでも大きな価値がある。
しかし、「楽譜という形で保存されているだけでは十分とはいえない。音楽は生き物だから」という歴史資料館のスタンスによって、40年ぶりにオラトリオ「ヨブ」が再演された。歴史的に価値ある資料を、どのように残せば意義のあるものとなるのか。「ヨブ」の再演にあたり、日本の歴史的資料の在り方についても、あらためて考え直す機会となったに違いない。