ロシア正教会のモスクワ総主教キリルは10日、モスクワの救世主ハリストス大聖堂で聖体礼儀を執り行った。その後、大聖堂前の広場で、ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーの生誕175周年と対独戦勝70周年を記念するコンサートが開かれた。ロシア正教会渉外局が同日、公式サイトで伝えた。
復活大祭から5週目の主日に当たるこの日の聖体礼儀では、大聖堂の聖歌隊が、イリヤ・トルカチェフ氏の指揮により、チャイコフスキー作曲の聖歌「聖金口イオアン聖体礼儀(Liturgy of St. John Chrysostom)」を合唱した。金口イオアンは、4世紀のコンスタンディヌーポリ大主教で、名説教者として知られ、「黄金の口」を意味する「金口」と呼ばれた。聖金口イオアン聖体礼儀は、金口イオアンが定めた聖体礼儀の形式で、チャイコフスキーの「聖金口イオアン聖体礼儀」は、これに曲を付けたもの。無伴奏の混声合唱による聖歌で、この日はチャイコフスキー作品全集に収録されている祈祷文に従って歌われた。
この祈祷文は、チャイコフスキーによる手書きのものや彼の存命中に出版された公式版に沿うように校正された。モスクワ総主教庁渉外局長のボロコラムスク府主教イラリオンが、「聖金口イオアン聖体礼儀」が含まれている巻の編集者を務め、編集委員の中には、チャイコフスキー交響楽団の芸術監督および首席指揮者であるウラジーミル・フェドセーエフ氏がいる。
「主、憐(あわ)れめよ」の他に「主、賜(たま)えよ」と詠隊で答える形式の増連祷の後、キリル総主教はウクライナの平和のために祈った。そして、聖体礼儀の後、総主教は参祷者たちに説教を行った。
この日の聖体礼儀は、キリル総主教、イラリオン府主教、モスクワ総主教庁一等書記官であるボスクレセンスク主教サバ、救世主ハリストス大聖堂の聖器物保管係であるミハイル・リャザンツェフ長司祭、そしてモスクワの聖職者らが執り行った。
聖体礼儀の後、総主教らは大聖堂前の広場で、チャイコフスキー生誕175周年と、対独戦勝70周年を記念するコンサートを鑑賞した。コンサートでは、チャイコフスキー交響楽団とモスクワ聖務会院聖歌隊、モスクワ大学アカデミー合唱団が、フェドセーエフ氏の指揮により、チャイコフスキーのカンタータ(交声曲)「モスクワ」と、序曲「1812年」を演奏した。
「モスクワ」は、チャイコフスキーがロシア皇帝アレキサンドル3世の戴冠式のために依頼され、作曲したもの。一方、「1812年」は、ナポレオンのロシア侵攻に対する1812年の戦争の勝利70周年を記念して、救世主ハリストス大聖堂の成聖のために作曲された。
コンサートの後、キリル総主教は市民に向けて演説し、「私がアレキサンドル3世の戴冠式にささげられたこの『モスクワ』の優れた歌詞を聴いたとき、私はロシアが繁栄していた当時の雰囲気について考えた」と述べ、「当時、人々は皇帝に対し、皇帝自身が十字架を背負ったことや、神の御前における彼の謙虚さ、奉仕としての彼の支配についての言葉をもって、あいさつすることができた」と説明した。
「そして私たちの歌である『主よ、汝(なんじ)の民を救いたまえ』と、『ラ・マルセイエーズ』(フランス国歌)という、チャイコフスキーの素晴らしい組み合わせをあなた方が耳にするとき、思わず欧州文明で最も複雑な対立について自ら問うだろう。そしてこれがみなチャイコフスキーによって、この素晴らしい音楽の言葉で表現されたのだ」と、総主教は語った。そして、「私たちはただ彼の前にひざまずき、祈りのうちに彼を記念するだけである」と付け加えた。
キリル総主教はまた、多くの人々がロシアと世界のクラシック音楽の型を変えようとするこの時代にあって、その純粋さの守護者としてフェドセーエフ氏とその楽団に感謝した。
一方、ロシア正教会渉外局は、「チャイコフスキー交響楽団(旧モスクワ放送交響楽団)は、(ナチス・ドイツが旧ソ連に侵攻した)1941年にモスクワを1日たりとも離れずに、『同盟の家』で演奏し、コンサートが放送された唯一の楽団であったことから、ナチス・ドイツに対する大祖国戦争の勝利70周年を記念するこのコンサートは、同楽団にとって特別な機会であった」と伝えた。
当時子どもだったフェドセーエフ氏は、ナチス・ドイツによるレニングラード(現サンクトペテルブルク)の包囲を生き延びた。これまでに、母国奉仕勲章や聖ウラジーミル勲章、聖セルギー・ラドネジスキー勲章(最高位)を叙勲している。なお、フェドセーエフ氏の公式サイトなどによると、国際的に知られている同氏は日本でも高く評価されており、東京フィルハーモニー交響楽団でも客演指揮者を務めたことがある。