ロシア正教会の現役府主教が書いた21世紀のマタイ受難曲『マトフェイ受難曲』の演奏会が来年1月30日、浜離宮朝日ホール(東京都中央区)で開催される。日本では初公演となる演奏会の指揮を務めるオーケストラ・ナデージダの指揮兼監督の渡辺新氏に、『マトフェィ受難曲』の魅力と演奏会での聞きどころを聞いた。
渡辺氏が率いる「オーケストラ・ナデージダ」は、ロシア・北欧の音楽を主に演奏する、日本でも珍しいオーケストラだ。渡辺氏がクラッシク音楽を始めたのは中学2年生の時。きっかけは「リストの『ラ・カンパネラ』が弾きたい」との思いからだったという。その後、音楽への関心は作曲にも向かい、桐朋学園大学の先生に付いて専門的に作曲の勉強を始め、高校卒業後は迷うことなく同大作曲科に進んだ。
学生の頃から第2外国語としてロシア語を選択するなど、文学、食文化、政治に至るまでロシアに深い興味を抱いていた渡辺氏は、モスクワ音楽学院に留学し、そこで指揮を学んだ。それからしばらくして、今回指揮する作曲者イラリオン・アルフェーエフによる『マトフェイ受難曲』のライブCDを偶然見つけたことで、すぐ手に取って聞いたところ、一目ぼれならぬ「一聞きぼれ」をしたのだという。それ以来、「こういう作品がもっと日本で演奏されればいいのに」と思い続けて今回の演奏会につながった。
『マトフェイ受難曲』は、合唱、ソリスト、福音記者役が歌い交わし、弦楽器によるフーガが各所に挿入される構成となっており、歌詞は全てロシア語による。それらの歌詞は、ロシア正教会の礼拝で使用される祈祷文や聖歌に出てくるものだが、この楽曲はあくまで演奏会を前提としたものだ。というのも、一般にロシア正教の礼拝での聖歌は「祈りの言葉」であって、男性のみの合唱で器楽は一切使われないことになっている。作曲者イラリオン・アルフェーエフ氏はロシア正教会の府主教だが、この楽曲は純粋に音楽作品を念頭に作られている。だからこそ、「楽曲が持つ美しさと清らかさをロシア正教徒だけにとどめず、世界中で分かち合うことができた」と渡辺氏は話す。
渡辺氏が『マトフェイ受難曲』を知ったのは2010年。すぐにロシアのアルフェーエフ氏の事務所に問い合わせ、楽譜を送ってもらったという。その後5年間演奏の機会を待ち、今年1月にオーケストラ・ナデージダで演奏することを決めた。ソロ歌手や福音記者役の協力をお願いしたところ、すぐに了解も得られ、合唱団ナデージダも結成。その後はトントン拍子に準備が進み、第11回ロシア文化フェスティバル2016 in JAPANの公式プログラムの一つとして行われることになった。
渡辺氏は正教徒ではないが、ロシアやウクライナに行くといつも教会を訪れ、そこでいつも何かを感じ、心が動かされるという。「教会空間、建築、装飾といったものが、唱えられる聖歌と一体となって静かに心に迫ってくる。ロシア人にとっては、教会で聞く無伴奏の聖歌は、広く彼らの生活の一部でもあり、ただ受け身として聞くものではないのだろう」と話す。一方、オーケストラが入る『マトフェイ受難曲』は、一教会単位ではなく、大きなホールで自由に演奏することができ、聞き手のターゲットをより広げることができるのはとても意義があると語った。
渡辺氏は今回、ロシア正教会と関わりの深い楽曲を演奏するにあたり、「ロシア正教会や、日本に住むロシア人たちに何か役に立ちたいと思っている」と話した。ロシアに住んでいたときには、ロシア人の優しさに大いに助けられた。そのことに対するお返しの気持ちもあるという。
「今回は、ただ演奏会をするのとは違う。純粋に音楽が好きだというより先に、宗教というものがある。そこに音楽が近づくことで、人々の生活に密着し、より意義深いものになればと思う。音楽芸術の枠にとどまらず、これぞ市民レベルでの旬のロシア、というように、ロシアの雰囲気を感じ取れる演奏ができれば」と話した。
演奏会に関する問い合わせは、オーケストラ・ナデージダ(メール:[email protected]、ウェブサイト)まで。