通称ニコライ堂として知られる日本ハリストス正教会教団の東京復活大聖堂教会(東京都千代田区)。日本に正教を伝道し、神田駿河台にその建設を指導した亜使徒聖ニコライに由来するという。日本正教会の中心となる教会(首座主教座大聖堂)である。
同教団が発行している『正教会暦』によると、主の降誕祭(クリスマス)は、旧暦(ユリウス暦)の主の降誕祭が1月6、7日に行われているが、ニコライ堂では、ローマ・カトリックやプロテスタントなどの西方教会と同じ新暦(グレゴリオ暦)でも12月24、25日の2日間にわたって主の降誕祭が行われており、24日にはその前晩祷が行われた。25日には、金口(きんこう)イオアン聖体礼儀が行われた。
伝統を重んじる正教会が、なぜ、いつから12月24日と25日に主の降誕祭を行うようになったのか?
「宣教上の配慮によるものです。『キリスト教なのになぜ24〜25日じゃないのか?』と怪しまれないようにするためだと聞いております」と、この教会の司祭の一人であるクリメント北原史門神父が、前晩祷が始まる前に説明してくれた。「昭和34年(1959年)から、降誕祭だけ新暦で祝うようにしたと記録にあります」。ただ、北原神父によると、「旧暦に戻してもよいのでは」という声も同教会の中にはあるという。
大聖堂の中には、イコンと呼ばれる聖画とろうそくの明かりの数々。正面入り口から向こう側には、聖職者やその手伝いをする人たちが出入りする至聖所がある。
24日の午後6時半。200人ぐらいはいるかと思われる参祷者たちが集まる中、日本正教会の首座主教であるダニイル府主教をはじめ、司祭たちが大聖堂に入堂してきた。教会の鐘が鳴り、たかれたお香が、祭服をまとった司祭たちによって香炉に取り付けられた鈴の音とともにまかれ、その香りが聖堂の中を漂う。いよいよ主の降誕祭の前晩祷の始まりである。
「主憐れめよ、主憐れめよ・・・」と、至聖所で誦経(しょうけい)担当者が早い口調で祈りを延々と唱え続ける。「アリルイヤ、アリルイヤ・・・」「・・・今も何時も世々に。『アミン』・・・」「ハリストスは人となりて依然として神なり・・・」
その祈りは、日本ハリストス正教会教団が2014年に発行した『主日奉事式』に収録されているような普段の祈りの文ではなく、それらを複合的に組み合わせたものだ。北原神父によると、信者でもその祈りを理解できるのは一部の人たちだけで、「今日の祈りは玄人向け」だという。
9時過ぎまで続いた前晩祷の祈りの文は膨大な量だ。そのため、プロテスタント教会の礼拝式文とは違って、その祈りの文が予め印刷されて参祷者たちに配られることはない。
「よく、正教会は(奉神礼で)何をやっているのかよく分からないと言われることがありますが」と北原神父。「(祈りの文を印刷して)配りたいのはやまやまでも、物理的に不可能なんです」と言う。
北原神父によると、24日の参祷者たちの半分以上は見学者だという。しばしば自らの胸の前で十字をかき、おじぎをする人たちは信者であることが分かる。
祈りの合間に響く聖歌隊の美しい合唱は祈りであり、楽器を必要としないという。やがてダニイル府主教が祭壇から数分間の短い説教を始めた。
「クリスマスは、私たちの救世主イイスス・ハリストス様がお生まれになったことをお祝いする日です」と語り、「本日、少しでも神に近づこうと」する人たちに、他人のことを思いやる愛を分かりやすく説いた。
その後、聖歌隊の合唱が響く中で参祷者たちから献金がささげられ、参祷者たちがずっと立ったまま手に持っていたろうそくに火が灯され、隣の参祷者たちへと受け継がれていった。
やがて、「・・・イイススと名付けたり」と府主教が新約聖書の「マトフェイニ因(よ)ル聖福音」(マタイによる福音書)1章にある主の降誕の部分を朗読し、司祭たちの額に十字の形で油を塗ると、司祭たちは府主教の手の甲に接吻した。そして、列をつくって並ぶ参祷者たちの額にも、司祭たちが同じように十字を描く形で油を塗り、参祷者たちが司祭たちの手の甲に接吻した。
そして、府主教が至聖所から出てイコンに接吻し、退堂。前晩祷は終わった。その一方で、信者たちが並んでイコンに接吻し、胸の前で十字をかいていた。
祈りの意味を理解しようとニコライ堂に初めて来る人たちにお勧めしたいことは?と尋ねると、北原神父はこう答えた。
「最初から意味が分かるというのはありえません。量が凄まじく多いので、文が難しくなくても分かろうとしないでください。聞き取れたところが神様からのメッセージだと考えていただければ」
しかし、「そうはいっても、翌日の聖体礼儀に自分の心身を備えるという大枠の意味はあります。一部例外を除き、前晩の祈りはほとんど全てそうです」と北原神父は言う。
日本ハリストス正教会教団全国宣教企画委員会は、初心者向けに『正教会の手引』(2004年初版、2013年改訂)を発行しており、大聖堂の正門を入ってすぐ左にある教会事務所で、正教会訳聖書などと共に頒布している。
1980年には、現在は米国正教会の長司祭である高橋保行神父による著書『ギリシャ正教』(講談社学術文庫)が発行された。また、『ニコライの日記 ロシア人宣教師が生きた明治日本』(上・中・下、岩波文庫、2011年)は、日本近代史を亜使徒聖ニコライがどのように捉えていたのかを知ることができる、貴重な文献である。
しかし北原神父は、「一つ目に、100冊本を読むよりも100回奉神礼(カトリックでいう典礼、プロテスタントでいう礼拝にあたる)に出ていただいた方が正教会としては近道です。その理由は、神学書を読んでいる人たちは信者でもほとんどいない。でもお祭りには来ているという信者はいっぱいいるので、お祭りを見ないで正教会を語るとおかしなことになる」と言う。
「百聞は一見に如かず」と北原神父。「レシピを積み上げるより、食べなければ分からない」と料理に例えた。
「二つ目に、正教会のわれわれは神秘『主義』者ではない。われわれはこれを日常の祈りとしている」と北原神父は言う。「信者になろうとする方は、(参祷を続けているうちに)刺激は消えていくことに予め備えていただきたい」と付け加えた。
北原神父によると、正教会にとって最も大切な祭は復活祭(イースター)であり、2つ目が聖神降臨祭(ペンテコステ)。3つ目と4つ目が主の洗礼祭(神現祭とも呼ばれる)と主の降誕祭だという。2015年の「光明なる主の復活大祭」は、4月12日(11日深夜から12日未明にかけて)に行われる。
なお、旧暦による主の降誕祭は、1月6日午後6時から徹夜祷、7日午前10時から聖体礼儀が行われる。また、ニコライ堂は公式サイトで奉神礼の予定や拝観、見学、参祷の案内、聖堂内のマナーやアクセスなど、教会の紹介や案内をしている。しかし、「まずはウェブサイトをではなく、まずはお祈りに来てください。ウェブサイトはそのためのものです」と北原神父。実際に足を運んで祈りに来ることをお勧めしている。