8日深夜0時、東京復活大聖堂(ニコライ堂)の鐘の音が神田の街に鳴り響く中、白い祭服に身を包んだ司祭達が十字架や長い柄のついた円盤などを持ち、整然とした列を作ってニコライ堂の扉を開いた。
普段はニコライ堂の愛称で親しまれている日本ハリストス正教会教団・東京復活大聖堂教会。この日は200人以上が集まり、7日の午後11時30分から始まる夜を徹した「復活大祭」の祈り(聖体礼儀)が行われていた。
「復活大祭」とは西方教会のイースターに相当する祭りだが、今年は東方教会の用いるユリウス暦と西方教会の用いるグレゴリオ暦が一致した。
司祭の後に続き、参列者達は手にろうそくを持って聖堂の中に入っていった。正教信徒のチェーホフ氏(ロシア人)は「ろうそくは天に昇る祈りを象徴しています」と話した。
聖堂の中には至聖所と聖所を分けるイコノスタス(聖障)という様々なイコン(聖画)がはめ込まれた壁があり、開け放たれた門の向こうで復活の祈りの儀式を行うのが見える。至聖所は天国の象徴であり、掲げられたイコンが天国を表していて、復活祭につづく1週間(光明週間)は門を開放している。
聖堂の入り口から至聖所にいたる通路を真ん中にし、参列者は左右思い思いのところで復活祭の儀式を見守る。至聖所を正面にして左側には十字架があり、右側には聖歌隊が集まる。聖歌隊が歌う3重の合唱はよどみなく途絶える事なく続けられ、復活祭の喜びを歌っていた。
祈祷文が読み上げられていく中、至聖所の入り口で「ハリストス(キリスト)復活」と復活の宣言をし、香炉を下げ持つ司祭が聖堂に集まる参列者の間を縫うように歩き巡りながら、復活の知らせを告げた。香は聖霊をあらわしており、振るたびに堅い銀の鈴の音色と香煙が広がる。ろうそくの火が淡い黄色の暖かな光を投げかける中、信徒は復活の声に「実に復活(じつにふっかつ)」とイエスキリストの復活の宣言に応答した。
至聖所の前に立てられている十字架についてチェーホフ氏は「復活祭前の一ヶ月間には黒い布がかけられています。それは私たちの罪を表しており、復活祭の日に白い布に変えられます。十字架によって罪を清めてくださったことを表しています」と語った。
最後には洗礼名を持つものだけが許される聖体の領聖(パンと葡萄酒の拝領)が行われ、鐘の音が鳴り響く中、朝4時すぎに儀式を終えた。
東京復活大聖堂教会は、1884年3月に起工し、1891年2月に完成した。名前の由来となった「ニコライ」神父は1861年に函館のロシア領事館付司祭として来日し、1872年、東京に日本ハリストス正教会を設立した。