2011年3月11日の東日本大震災から5年を迎えた11日、鎌倉のキリスト教、神道、仏教が一つ場所に集まり、合同で「追悼・復興祈願祭」を執り行った。鎌倉では、震災発生1カ月後の4月11日に、3宗教の宗教者が集まって鶴岡八幡宮で合同祈願を行って以来、会場を持ち回り、毎年3月11日に祈りをささげてきた。今回の会場は、カトリック雪ノ下教会(神奈川県鎌倉市)。参加した宗教者は約100人、参列者は焼香者を含めると千人以上に上った。
降り続いていた冷たい雨も小降りになった午後2時すぎ、祈願祭で祈りをささげる宗教者らによる行列が、小町通りにある鎌倉聖ミカエル教会を出発した。出発前には「われわれ宗教者の祈りが、人々の祈りへとつながるように」と、イエス・キリストの御名による祈りがささげられた。
香炉を静かに振るカトリック雪ノ下教会の山口道孝神父を先頭に、法螺貝を吹く神職、札をまく僧侶らと続く行列は、小町通りを抜けて鎌倉駅前を通過し、若宮大路にあるカトリック雪ノ下教会へと進んだ。
通行人の中には、突然遭遇した行列に驚きつつも、その意味に気が付くと「今日は3月11日か」と神妙な顔つきになり、通り過ぎるのを静かに待つ観光客や修学旅行中の学生らの姿が多く見られた。また、僧侶が歩みを進めながらまく「祈」と書かれた札を大事そうに拾ったり、行列の後ろに加わる人々もいた。
カトリック雪ノ下教会に到着した宗教者らは、東日本大震災が発生した午後2時46分に鎌倉市内の寺院と教会の鐘が鳴り響くと、すでに聖堂内外に集まっていた参列者らと共に1分間の黙祷を行った。イザヤ書43章5節から7節の聖書箇所が拝読され、「全ての人が解放され、喜びを持って生きることができるように」と祈られたのち、神道、仏教、キリスト教の順に、それぞれの宗教による祈り、お祓いが祭壇上で行われた。
神道の祈りは、鶴岡八幡宮を中心とした、鎌倉の神社の神職たちによって執り行われた。神前に一礼する神職らに合わせて、他の宗教者や参列者も一礼。祭祀に用いられる祝詞(のりと)の一つ「大祓詞(おおはらえことば)」が声を合わせて斉唱された後、聖堂内の参列者、聖堂外の参列者は頭を下げてお祓いを受けた。
仏教の祈りは、鎌倉市仏教界の約40カ寺の僧侶によってささげられた。導師を務める鎌倉仏教会の仲田昌弘住職が焼香し、祈りの趣旨である表白(ひょうびゃく)を述べた後、僧侶一同により、観音菩薩の力によりさまざまな災いが去ると書かれる「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第廿五偈(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんだいにじゅうごげ)」と「ご回向(えこう)」が唱えられた。聖堂内には、参列者のための焼香台も設けられ、焼香を待つ人々の長蛇の列が続いた。中には胸で十字を切って祈りをささげる人の姿も見られた。
キリスト教の祈りは、カトリック教会、日本聖公会、日本基督教団の司祭、牧師によって礼拝形式で行われた。聖歌「主は水辺に立った」「やすかれ、わがこころ」が参列者一同によって歌われた。山口神父が、現在も苦しみの中にある被災地や被災者への思いを寄せるメッセージを語った。
「東日本大震災という悲しく、しかし貴重な体験をした私たちは、将来に向かって世界平和を構築し、大切な地球を守り、次世代につなげていく重要な役割を担っている。それぞれがしっかりと自分の責任を自覚し、知る努力、考える努力、実行する努力を続けなければならない」
また、日本基督教団鎌倉恩寵教会の荒井仁牧師は、「少しずつ日常を取り戻している人々がいる中で、いまだ先行きの見えない中でこの日を迎えた人もいる。どうか一人一人の生活が守られ、必要なもので満たされるように。私たちが心にとめて、つながり続けることができるように導きください」と祈りをささげた。
祈願祭終了後、鎌倉宗教者会議の副会長を務める荒井牧師は囲み取材に応じ、3宗教合同で祈りをささげる意味について「今回で6回目となるが、形、伝統、表現は違うが、祈りの心はどの宗教も同じだということに気付かされてきた。キリスト教式、神道式、仏教式、どのあり方によって祈りの思いが高まるかは人によって異なるが、だからこそ、一つに集まることによってさらに祈りの思いが高められる。単独で行うよりも、祈りが豊かになることを体験させられてきた」と話し、「一緒にできることをありがたく思うし、これからも続けていきたい」と述べた。