「千年に一度」といわれる東日本大震災。被災した現地の諸教会は、被災者と同じ目線に立って支援活動を続けてきた。中でも宮城県多賀城市の塩釜聖書バプテスト教会が立ち上げた復興支援プロジェクト「ホープみやぎ」は、震災直後から幅広く被災者支援に取り組んできた。震災から5年を迎える今、これまでの復興支援活動と今後の展望について、同教会主任牧師の大友幸一(ゆきかず)氏に話を聞いた。
20代で信仰に導かれ、その後、塩釜聖書バプテスト教会の3代目牧師として仕えてきた大友氏。5年前の大震災当日は、教会の牧師室にいたという。教会から30分ほど離れた実家は津波で流され、子どもの頃からかわいがってくれた叔父も命を落としてしまった。
津波の跡を見ながら、「自分は神様によって生かされているのだ」と心の底から実感したという。そして、聖書に書かれている「天の故郷に帰るのだ」という約束をとても身近に感じ、福音を伝えることが自分の使命だとあらためて確信した。この5年間の活動の原点は「ここにある」という。
ホープみやぎは、仙台市若林区、亘理町、七ヶ浜町、東松島市を主な活動場所とし、これまで世界中からボランティアを受け入れ、多くの被災者を支援してきた。震災当初は、津波の被害に遭った家々の清掃手伝い、物資配布、炊き出しなどをしてきたが、ここ数年は、毎月約10カ所の仮設住宅訪問と、約30件の家庭に継続的に食料品を配布する「フードバンク」を行ってきた。
昨年にはNPO法人「いのちのパン」を設立し、フードバンクの働きを引き継ぐ形となった。今後は被災者だけでなく、経済的困難にある人々の支援も行っていくという。
塩釜聖書バプテスト教会では大震災前から「ソーシャルミニストリー(社会奉仕)とエバンジェリズム(伝道)を車の両輪のように回していくときに御国は拡大していく」との宣教思想を学んできた。
この宣教思想から「口で語る福音を聞かなければ救われないが、善き行いが伴うときに、相手の心に届くのではないか」との方向性が導き出され、同教会における復興支援活動の指針となった。徹底して被災者に寄り添い、善き行いによって仕える活動が、ホープみやぎを通して次々と展開されていった。
大友氏は、「信仰といったことは抜きにして、楽しんでもらえること、困っていることを助けることをやり続けた」と話す。しかし、活動を始めた当時は「被災地の人たちは、クリスチャンボランティアを信用していなかった」という。
家具や畳の泥かきをしたり、床や板の張り替え工事をしたりすると、「後で金をとられるぞ。宗教に引き込まれるぞ」と噂された。しかし、数週間にも及ぶ作業の中で、誠実な態度や熱心な仕事ぶり、食事を分け合う姿や、祈る姿を見て、次第にクリスチャンに関心を抱くようになったと話す。
大震災の後、多くのボランティアが来てはイベントを行ったりしたが、長く続けては来なかったという。一方、地味な活動でありながらも繰り返し行うホープみやぎの働きは、仮設住宅の人々から注目されるようになった。次第に「ホープみやぎさんお願いします」と声が掛かるようになり、信頼を得ていった。
そうした地道な支援活動を続けていく中で、スタッフたちが口にするイエス様に興味を持ったり、バイブルスタディーに導かれたりして、昨年までに10人もの被災者が受洗の恵みにあずかった。津波で被災した東北の農村や漁村は、日本のキリスト教界からは伝道が難しいといわれている地域だ。それにもかかわらず、ホープみやぎ以外の活動を通しても、被災地では続々と救われる人が起こされている。
東京基督教大学国際宣教センター(FCC)日本宣教リサーチの調査によると、宮城地域では震災後、データを取った30の教会・宣教拠点だけでも、500人以上が受洗者、決心者、求道者として導かれたことが報告されている。FCC日本宣教リサーチは、「被災地の教会は、『宣べ伝える教会』から『地域に仕える教会』さらには『地域と共に生きる教会』へと大きく変革されていった」とし、「こういった教会の姿を見て、地域の人の多くが教会に好感を持ち、信仰告白へと導かれていったといえるのではないか」との見解を示している。
被災地の復興のスピードは岩手県、宮城県、福島県でかなり違っており、県内各地でも進み具合はまちまちだ。ホープみやぎが活動する地域でも、すでに仮設住宅から新しい復興住宅への移住が始まっているところもあるが、まだ移住の目途さえついていない地域もある。
震災から5年を迎え、ホープみやぎの活動も「ちょうど過渡期」にあるという。しかし、昨年仮設住宅に暮らす人たちに「これからも教会と関わりを持っていきますか」「聖書を勉強しますか」といったアンケートをとったところ、ほとんどの人が「続ける」と答えた。移転先の住所も、ちゅうちょなく教えてくれるという。
ここまで被災者からの信頼を勝ち得たのはどうしてか。大友氏は、「例えば、キリスト教緊急支援団体『サマリタンズ・パース』からボランティアに来た人が、津波の後片付けや家屋修繕で『私のような外国人をこの家に入れて仕事させてくださりありがとうございます』と言うんですね。日本人の感覚からすると、手伝いに来てくれた人が『ありがとう』などということはなかったわけで、こういった仕える心が気持ち良く残り、クリスチャンに好感を持ったのだと思います」と話す。神の愛を媒介にすることで、人と人がつながり、信頼が生まれていったのだ。
大友氏は、阪神淡路大震災後に復興住宅に住んだ老人が、孤独死で何日も発見されなかったことに触れ、「新しくきれいな部屋に入ったとしても、独りぼっちで寂しいと思っている人がいる。私たちはそのような人たちとできるだけ関係を持ちたい」と語った。
今後進む復興住宅への移住については、「仮設住宅で信頼関係のできた人たちに新しい住所を書いてもらっているので、これまで以上に個人的に心の深いところまで話ができることを期待している」と力を込める。さらに、「御言葉を共に学び、御言葉の約束を握り、永遠の希望を持って新しい人生をスタートしてもらいたい」と語る。
震災直後に配布したトラクトの中で大友氏は、「40年前に心にお迎えしたイエス・キリストが『道・真理・いのち』だということを、大震災を体験してさらによく分かった」「大震災で一時的にはなえた心も、イエス・キリストによって、今は喜びと平安に満ち溢れている」と証しする。
「これからも教会の交わりに入っていただくために手助けし、仕えていきたい。福音を伝えることはクリスチャンしかできない最大の支援活動なのだから」と抱負を語った。