聖公会では、2月10日から3月26日の日曜日を除く40日間を「大斎節」と呼び、1年間の教会暦を通して最も厳粛な悔い改めと克己(こっき)の期間となっている。日本聖公会東京教区東京諸聖徒教会(東京都文京区)では、大斎節第4主日に当たる6日の礼拝後、この時期にふさわしいのは、私たちにとって何が大事かを考え直すことだとし、大震災から5年目を迎える被災地の人々のことを考え、思いを分かち合うための勉強会を開いた。
講師を務めたのは、日本聖公会東京教区の田光信幸司祭と50年来の知り合いで、現在日本聖公会東日本大震災被災者支援「いっしょに歩こう!パートⅡ」原発と放射能に関する特別問題プロジェクトの「被災者支援センターしんち・がん小屋」(福島県相馬郡新地町)でスタッフとして働く日本聖公会修士の松本普(ひろし)さん。松本さんは、4年前から新地町に遣わされ、スタッフとして被災者に寄り添い、共に歩みを進めてきた。この日は、「あれから5年 今、被災地では」と題して、聖公会が制作したDVDを通して「復興」という輝かしい言葉とはかけ離れた厳しい現実を報告し、直近の福島県のデータを用いて、被災地における真実を語った。
松本さんは、「震災直後の東京でも、コンビニから食料品がなくなったり、帰宅困難者や計画停電といった言葉が聞かれたが、今ではこういったことはすっかり過去のこととなり、忘れてしまっているが、あの日から時間が止まっている人たちがいる」と訴えた。実際福島では、9万7千人もの人が県内外で今も避難生活を送り、新地町では、15年6月現在で129世帯393人が仮設住宅で暮らしている。「聖公会の活動方針である『いっしょに歩こう』は、誰とどこに向かって一緒に歩くのか」と述べ、震災から5年たった今、9万7千人の避難者を苦しめているのは、情報の「格差」の問題だと訴えた。
松本さんは、「確かに仮説住宅も8カ所から2カ所に集約され、避難者の数も減ってきているが、それを『復興』と呼べるのだろうか」と問い掛けた。スタッフとして新地町で被災者と日々暮らす中で、被災者の実感とマスコミなどを通して伝わってくることとの格差があまりにも大きいことを感じずにはいられないのだという。特に、政府がいう復興は、被災者の人々の目線ではなく、逆にどんどん外れたものになっていると指摘し、その背景には情報操作によるプロパガンダが見られると指摘した。
「政府のいうことは決して嘘ではないが、真実を話していない」と危機感を訴えた。例えば、震災による地域被災状況を発表するときの死亡者は直接死だけで、関連死は除いてしまう。1日付の「福島民報」では、直接死は1604人、自殺を含めた関連死は2026人に上り、5年以上たった今でも福島県内の関連死は増え続けているのが真実だ。また政府の発表では、自主避難者の犠牲も関連死に入らないことになっており、今後政府にとってさらに都合のよい数字が発表されると懸念を示した。
また、「オリンピックの競技を福島で開催する話や、常磐道の全面開通、あるいは復興のPRを芸能人を使って行ったりする中では、政府とは違った意見を口に出すことに萎縮し、ますます真実を話せなくなる」「プロパガンダがどんどん定着し、被災者はどんどん取り残されていく」と述べ、「真実を語ることを封じられた被災者の自殺が増えている」と明かした。
松本さんは、「都合のいい事実だけをいうのが国の今の姿勢だ」と語る。除染についても、米国などと比較し、国の原発に対する甘さを指摘した。さらに、「被災地から離れた所にいる多くの人たちと、きちんとしたキャッチボールができていない」とし、「真実が明かされないことで苦しんでいる被災者がいることを祈りのうちに覚えてほしい」と訴えた。
「私たちが被災者たちと一緒に歩いていくためには何が必要か」との参加者からの質問に対して、松本さんは、「5年目となる今、被災者の共通した思いは『忘れないでほしい』ということ。ただ、これは自分たちのことだけでなく、皆さん自身が5年前直接体験したことも含めてで、それぞれが自分たちの5年前を忘れないでいることが大切だと思う」と答えた。そして、アモス書8:9~12を通して「心の復興」を語り、「私たちには、希望につながる関わり方ができる」と力を込めた。
田光氏は、「被災者は今後も痛みを受けながら生きていかなければならないことを、私たちは忘れてはいけない」と話し、「偏見といったことで二重に苦しめることがあっては絶対にいけない。教会はこのことをより真剣に、より深刻に考えていかなければいけない」と締めくくった。
参加した60代の女性は、「実際の現地の話を聞いて、そこに住む人たちのことをあらためて考える機会となった。自分にできることを見つけていきたい」と感想を語った。