「人間の尊厳とは何か」をテーマに、真摯(しんし)に生きる人間の姿を撮り続けるドキュメンタリー映像作家の池谷薫さん。これまでに発表した作品は、どれも高い評価を得、数々の賞に輝いている。特に2012年に公開された「先祖になる」は、日本カトリック映画賞や文化庁映画大賞、プロテスタントとカトリック教会の国際映画組織「TERFILM and SIGNS」によって選ばれた審査員から贈られるベルリン国際映画祭エキュメニカル賞特別賞を受賞するなど、キリスト教会からも大きな注目を浴びている。現在の日本におけるドキュメンタリー映画の第一人者である池谷監督に話を聞いた。
「先祖になる」は、東日本大震災で息子と家を失った木こりの老人・佐藤直志さんが、自ら森で木を伐り、自宅を再建するまでを追ったヒューマンドキュメンタリーで、震災から5年目となる3月11日にはドイツ・ハンブルグでの上映も決まっているという。池谷監督は、この映画は「祈りの映画」でもあると話す。「自分の生まれ育った場所が、自分が生きている間に元通りになることはないだろうが、何十年後には新しい町ができる。その礎となるために家を建てる、先祖になる」という佐藤さんの願いは、そのまま映画の題名となり、未来への祈りへとなっていると語った。
同映画は初めから意図して撮ったものではないという。少年時代を福島で過ごした経験を持つ池谷監督は、5年前の震災直後、何かせずにいられないという気持ちを被災地の友人に伝えたところ、「どうせ来るなら映画を撮りに来い」と言われ、自分が被災地でできることは「映画を撮ることだ」と確信した。ただその時、単に被災地の記録を撮るつもりは全くなかったという。「被災地の人々を『犠牲者』という言葉でひとくくりにするのではなく、一人一人が抱えている人間のドラマを、困難に立ち向かう人間そのものを撮りたかった」と当時の思いを語った。
「こういう時だからこそ人間力が試されるはずだ。きっとすごい人に出会えるに違いない」と思いをめぐらし、津波で町全体を奪われた岩手県陸前高田市に向かった。まず、来て驚いたのは、「花見」が開かれていたことだ。震災直後、全国的に自粛ムードが広がる中、当の被災地で開かれている花見に戸惑う池谷監督の前に現れたのが、映画の主人公となる佐藤さんだった。花見で集まった人々を前に「今年も桜は同じように咲く」と静かに語り掛ける佐藤さんを見た池谷監督は、その語り掛けが、復興への決意と覚悟をにじませた生活者の言葉に聞こえ、その場で佐藤さんに一目ぼれしたのだという。佐藤さんはまさに「困難に立ち向かう人」そのものだったと、その印象を話した。
「困難に立ち向かう人」は往々にして「頑固」ということになるのだろうか。中国残留日本兵の悲劇を描き、記録的なロングランヒットとなった「蟻の兵隊」(2006)の主人公、山西残留兵士の奥村和一さんもたった一人で国家の欺瞞(ぎまん)に立ち向かう頑固一徹の老人だったし、非暴力の闘いに込められたチベット人の心を描いた「ルンタ」(2015)の主人公・中原一博さんもチベット人の抗議のための焼身自殺という難題を前に誠実に立ち向かう強い意志の持ち主だ。「一人の人間にほれて撮っていく」と池谷監督は言うが、一途な思いを強い意志で成し遂げようとする姿に惹かれてしまうのだろう。
佐藤さんを撮ることに決めた池谷監督は、1年半かけてカメラマンと2人で陸前高田市に50回以上通い続けた。その間、宿泊所を提供してもらったり、食事を作ってもらったりしたことを明かした。「この映画は、被災地の人たちの大きな協力に支えられている」と池谷監督は話す。また、その「恩返し」として池谷監督たちも撮影の合間に、がれきの片付け、食器洗い、買い出しなど、できる限りの手伝いをさせてもらったという。「被災地の撮影では何よりも人間関係を築くことが大切で、こういったことが信頼につながっていった」と語った。
緊張感のあるドキュメンタリーを撮るにはその題材に応じた工夫が必要だという。「蟻の兵隊」では、奥村和一さんと「共犯関係」になり、重要なシーンを仕掛けて撮っていった。しかし、佐藤さんには、監督サイドから何も要求は出さず、素直に撮ることを心掛けたことを話す。「『蟻の兵隊』のような方法は被災地では許されない。でも、直志さんは何も言わなくても『見せ場』をしっかり作ってくれた」と言い、「直志さんの『家を建てる』という執念が、撮る側にどんどん伝わり、自分の中でも次第に『家が建つ』という確信に変わっていった」と当時を振り返り、撮影しながら自身の気持ちが変化していったことを明かした。
また、池谷監督は一瞬の表情を引き出す名手でもある。「蟻の兵隊」では、国家の欺瞞を暴こうとする中で、自分の犯した罪にも向き合うことになってしまう。80歳を越えた老人がこれまで見過ごしてきた罪に気付いたときの表情は、見る者の胸を締め付けるほど悲しいものだが、それでいて素晴らしいのだ。一方「先祖になる」では、ようやく建てた新しい家で、お茶を飲む佐藤さんの晴れやかな表情が忘れられない。こういった一瞬の表情を引き出すためには同じ方法は使わないという。違う人間だからだ。池谷監督は常に1人の人間対自分で相手に迫っていく。ある時は共犯関係となり相手を追いつめ、ある時は相手の思いに同化して自然に語らせる。その人に備わった人格を重視してカメラを回している。
池谷監督がこれまで撮ってきた映画は、それぞれに取り扱うテーマは違っているが、共通しているテーマは「人間の尊厳」だ。人が人らしく生きていくこと、かけがえのない生活を守ることの難しさを「先祖になる」では、仮設住宅に移ることを拒否し、そこに自分の家を建て直す姿を通して私たちに伝える。池谷監督は、「撮りたいのは、事実の中で起きていることによって人間の尊厳が脅かされていることで、今後もその思いは変わらない」と語った。
これからもドキュメンタリーに特化して映画を撮り続けるという池谷監督。資金調達の面での困難な現実を語りつつも、自身のスタイルである「個を極める」映画作りで、普遍性を持った面白い映画が作れると力を込めて話した。また、「映画が終わっても出演者たちの人生は終わらない」と言い、「先祖になる」の佐藤さんをはじめ、映画の出演者たちとの関係は死ぬまで続いていくことを覚悟する。
池谷監督は高校生の時に、被爆2世であることを親から知らされ、どうしてもっと早く教えてくれなかったのかと憤りを覚えたという。この思いは、「蟻の兵隊」へとつながり、戦争が人間を変えてしまうことの残酷さ以上に、事実を忘れてしまうことの恐ろしさを伝えた。次回作の予定を聞いたところ、今のところまだ決まっていないと言う。ただ、「広島、長崎、福島をつなぐロードムービーのようなものを撮っていけたらと思っている」と胸の内を語った。
震災から5年の節目を迎え、震災を風化させないためにも、復興に向かっていち早く動いた主人公の佐藤直志さんの奮闘を一人でも多くの人に知ってもらおうと、配給元である蓮ユニバースでは自主上映を呼び掛けている。また同時に、「人間の尊厳」をテーマに撮ってきた「延安の娘」「蟻の兵隊」「ルンタ」についてもこの時期ぜひ多くの人に見てもらいたいと話す。それぞれの映画についての詳細は、こちら。
上映が決まっている映画館などの最新情報は下記のページで案内している。
■ 池谷薫監督フェイスブック
■ 映画「先祖になる」公式サイト
■ 映画「先祖になる」予告編