戦時下に日本に留学し、獄死したキリスト教徒の韓国人詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ、1917~45年)を追悼する集いが21日、立教学院諸聖徒礼拝堂(東京都豊島区)で開催された。夭折した詩人を悼み、各地から集まった多くの人々が、尹東柱も祈りをささげたであろう礼拝堂で平和への思いを新たにした。
尹東柱は、1942年4月から立教大学で約半年間学び、日本の植民地政策による弾圧の中で、民族への思いと平和への願いを込めた詩の数々を、当時禁じられていたハングルで書き続けた。その後編入した同志社大学在学中に、治安維持法違反の疑いで逮捕され、懲役2年の刑で収監された福岡刑務所で、祖国が解放される半年前の45年2月16日に獄死した。
この集いを主催する「詩人尹東柱を記念する立教の会」は、尹東柱が獄死した日に合わせて、毎年2月中旬に追悼の集いを開催している。9回目となる今年は、追悼セレモニーの後、獨協大学国際教養学部特任教授の沈元燮(シム・ウォンソプ)氏を迎えて、「青年尹東柱の内面の闘いの記録」と題した講演会も開いた。
追悼セレモニーでは、キリスト教徒であった尹東柱のために、追悼の祈りがささげられた。聖歌「いつくしみ深き」を日本語と韓国語で賛美し、詩編23編とマタイによる福音書5章3~11節を交読。立教大学チャプレンの中川英樹司祭は、「美しいけれども寂しく、激しいけれども悲しい尹東柱の詩は、神を仰ぎ見た詩人・尹東柱の叙情のように思います」と述べた。その上で、1938年に書いた詩「弟の印象画」に触れ、「神の愛が及んでいないような現実の不条理さの中で、『人になるの』という弟の言葉は、尹東柱にとって将来の唯一の希望であったのではないか」と語った。そして、共鳴し、関係し合う存在である「人」となることを願った詩人・尹東柱に、神様の永遠の平安がありますようにと祈った。
続いて、尹東柱が作った童詩も含めた詩9編「便り」「はる」「煙突」「寒暖計」「十字架」「道」「渓流」「流れる街」「序詞」を、小学生から大学生、そして詩人や俳優などさまざまな年代・職業を持った14人が登壇し朗読した。最後の「序詩」は、朗読者全員で参加者も一緒になって朗読した。1941年に書かれたこの詩は、尹東柱の詩の代表作でもあり、この詩から詩集「空と風と星と空」の題名が生まれている。その後、京都・宇治川の河原で尹東柱が歌ったという「アリラン」を、平和への願いを込めて全員で斉唱した。
講演会では、尹東柱の詩の原本がスライドに映し出された。講師の沈氏は、青年尹東柱に焦点を当て、彼がなりたがっていたものが何だったのか、彼が抱いていた人生課題とは何であったのか、またその課題にどのように向き合っていたのか、尹東柱の精神の中を流れていた成長のドラマについて、尹東柱の書いた「八福」(1940年12月)、「懺悔録」(1942年1月)、「もう一つの故郷」(1941年9月)、「序詩」(1941年11月)、「十字架」(1941年5月)、「たやすく書かれた詩」(1942年6月)を通して語った。
沈氏は、青年期に書かれた作品全体からは、暗く憂鬱(ゆううつ)な雰囲気を醸し出すものが多いことを指摘する。自選詩集として出版する予定だった「空と風と星と詩」を見ても、その60パーセント以上が、世間に対する嫌悪、恥、痛みと孤独感、原罪意識などを歌っていると述べ、「超自我が発達している代わりに、自分の苦悩を処理するには未熟な、若いキリスト者であった」と言い、この時期の尹東柱が深い挫折の世界に沈んでいたことを伝えた。
また、この時期注目されるのは、自分を否定する内容が多いことで、「自分で作り出した〈理想的な自我〉と、その理想に到達できない〈今の自我〉の挟間で悩んでいたのではないか」と沈氏は述べた。そして、理想的な自我とは何だったのだろうかと問い掛け、その答えを「序詩」(1941年11月)から引き出した。詩の中に出てくる「死ぬまで空を仰ぎ見/一点の恥無きことを」が尹東柱の設定していた〈理想的な自我〉であり、「星を歌う心で/あらゆる死にゆくものを愛さねば/そしてわたしに与えられた道を/歩み行かねば」が、〈あるべき自分の姿〉だったのではないかと話した。
さらに、「十字架」の詩の中で、尹東柱は大声で十字架を担うとは叫ばず、十字架が許されるならと歌っているところから、「賢明でありながら謙遜な姿勢が、われわれが尹東柱に信頼を寄せる原動力になっているのではないか」と語った。
最後に、立教大学時代に書かれた「たやすく書かれた詩」を通して、柔軟で以前より強く成熟した尹東柱の姿を伝えた。この時期の尹東柱の心を占めていたのは、出世を望む父母の期待、時局に対する不安、安楽な生活を送っている自分への自責の念だったという。しかし、「八福」や「懺悔録」に見られるような、情けない自分を自虐したり、それに逆らって強靭(きょうじん)な決意をしたりといったことは、この詩にはないと説明した。
「たやすく書かれた詩」の終わりは、「灯火をつけて/暗闇をすこし追いやり/時代のように/訪れる朝を待つ最後のわたし/わたしはわたしに小さな手をさしのべ/涙と慰めで握る最初の握手」となっている。沈氏は「尹東柱は、この中で自分を抱擁する方法を見つけ出し、自分をありのままで抱き入れるようになったのではないかと」と述べた。そして、「もっと長生きしていれば、さらに成熟したキリスト教詩人としての姿を見せてくれただろう」と惜しみつつも、「最後の作品で成長した青年尹東柱の姿を見ることができたことは、われわれにとって幸いなことだと思う」と締めくくった。
尹東柱は来年、生誕100周年を迎える。韓国では最近「空と風と星と詩」の復刻版が3セットで発売され、ベストセラーとなっているほか、尹東柱の生涯を描いた映画「東柱」が今月から公開され、注目を集めている。「詩人尹東柱を記念する立教の会」でも、来年はいつもの年とは違う企画を準備しているという。
この日神奈川県から参加したという立教大学卒業生の女性は、「危うい方向に向かっている今の時代だからこそ、自分の表現を奪われた尹東柱の存在を忘れてはならないと思った」と感想を語った。