戦時下に日本に留学し獄死したキリスト教徒の韓国人詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)を追悼する集いが22日、立教学院諸聖徒礼拝堂(東京都豊島区)で開催された。戦後70年、また尹東柱没後70年に当たる今年、国内外から集まった多くの人々が、夭折した詩人を悼み、平和への誓いを新たにした。
主催したのは「詩人尹東柱を記念する立教の会」。尹東柱が獄死した2月16日に合わせて、毎年2月中旬に追悼の集いを開催している。今年は、尹東柱研究の第一人者である宋友恵(ソウ・ウヘ)氏を韓国から迎えて、「詩人尹東柱が夢見た世界―尹東柱が願った世界を詩と散文を通して探る―」と題した講演も行った。
この日の集いは2部構成で、第1部が追悼セレモニー、第2部が宋氏による講演会。追悼セレモニーでは、キリスト教徒であった尹東柱のために、追悼の祈りがささげられた。聖歌「いつくしみ深き」を日本語と韓国語で賛美し、詩編23編とマタイによる福音書5章3〜11節を交読。立教大学チャプレンの金大原(キム・デウォン)司祭は、「きょうは尹東柱を偲ぶだけでなく、彼を覚えるために、彼の思いを継承するために私たちはここに集まりました」と述べた。
「尹東柱の詩には力がある。1980年代に韓国が民主化に向かったとき、若い人たちは尹東柱の詩を口々に歌った。尹東柱の詩には世の中を変える力がある」と金司祭は話し、「尹東柱が詩を通して追求していたのは人間の尊厳・価値。私たちはこのことを実現することが、詩碑を建てる以上に大切だ」と語った。
続いて、尹東柱が作った詩6篇が、韓国語、日本語、そして中国語で交互に朗読された。5番目に詠まれた「たやすく書かれた詩」は、1942年2月、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)を卒業した尹東柱が来日し、立教大学文学部英文科に選科生として入学した折に作られたもの。宋氏の講演によれば、日本に対して直接言及した唯一のものだ。
「窓辺に夜の雨がささやき / 六畳部屋は他人(ひと)の国」と始まるこの詩は、創氏改名で名前まで奪われた尹東柱の日本に対する失望が表れているという。しかし、「にもかかわらず」と宋氏は言う。「そのような嘆きを吐露した彼の心の内面をのぞいてみると、新しい姿が見える。『隣国として日本と互いに近しく親しげに、平和な日々を送ることができたらどんなにいいことか』という痛みと願いが彼にあったがゆえに、そうすることのできない現実に対して切々とした嘆きがわき出た」と、宋氏は日本に対する失望の超克が見られると指摘した。
尹東柱は、立教大学に入学した同じ年の10月に同志社大学に編入するが、在学中の翌年7月に治安維持法違反の疑いで逮捕され、福岡刑務所に収監される。そして、終戦により自国の民族が解放されるわずか半年前に獄死する。
日本の植民地政策による弾圧の中、平和への願いを込めて数々の詩をハングルで書き続けた尹東柱の原動力は何だったのか。宋氏によると、キリスト教徒の家庭に生まれた尹東柱は、獄中で家族に「聖書を差し入れてほしい」と頼んでいたという。このことからも、「キリスト教的背景が、尹東柱の詩作の大きな原動力の一つになっていたことは間違いない」と宋氏は話す。
会の最後には、尹東柱が、同志社大学の級友たちと宇治川へ行ったときに歌ったという「アリラン」を参加者全員で合唱した。会場では、当時宇治川で級友たちと一緒に写した写真と、尹東柱の妹である尹恵媛(ユン・ヘウォン)氏(2011年、オーストラリアで没)の姿もビデオで紹介された。
主催者代表の楊原(やなぎはら)泰子さんは、最後のあいさつの中で、「日本が尹東柱に対して行ってきた野蛮な仕打ちに、日本人として申しわけないと思い、贖罪の気持ちから何かできることはないか」という思いから、20年以上、尹東柱の研究を続けていることを話した。そして、「歴史の真実と向き合っていくことで、尹東柱が何よりも望んでいたであろう平和な未来への願いを受け継ぎ、その役割を担いたい」と締めくくった。