国際基督教大学(ICU)宗教音楽センター第59回公開講演会「念仏でアーメン:音楽を通した仏教とキリスト教の対話」が15日、東京都三鷹市の同大学で開催された。同センターでは、定期的に公開講演会を開催してきたが、牧師と僧侶という異色の組み合わせの講演会に、学内外から75人が集まった。
この日登壇したのは、日本福音ルーテル教会東京教会の関野和寛牧師と浄土真宗本願寺派の藤岡善信僧侶。礼拝の時に身に付けるガウンとストールの関野氏、黒衣に袈裟姿の藤岡氏は、どこから見ても牧師と僧侶だ。しかし、2人とも一般的な枠にはまる宗教家ではない。関野氏は、2013年にルーテル教会の牧師と神学生(当時)で「牧師ROCKS」を結成し、都内のライブハウスに現れては、ロックで神の愛を知らせる牧師ロッカーだ。一方、藤岡氏も、2000年から東京・四谷で布教活動を目的に「坊主バー」を運営し、さらにそのメンバーたちと「坊主バンド」というお坊さんバンドを組み、ライブ活動を行っている。
2人の出会いは2年半前。関野氏から藤岡氏に電話をして「一緒にライブをしませんか」と誘ったのがきっけだ。断られるのを承知で電話したにもかかわらず、二つ返事で「やりましょう」と了承されときには、うれしかったと同時に驚いたという。吉祥寺での初めてのライブは大盛況で、英国のBBCでも紹介されている。その後、両バンドは10回以上ライブを一緒に行い、今回の講演会も彼らの活動を見た同センター所長のマット・ギランICU上級准教授が面白いと思い、ぜひICUで紹介したいと考え、実現したものだ。
演奏の前に2人は、どうして宗教家の道を選んだのかを語った。藤岡氏は、ボクシングをずっとやっていて、仏教系の大学である駒澤大学にボクシングで偶然入学したことを語った。本当は米国に行きたかったが、師匠に言われるがまま進学したというのが本音だ。その中で、ボクシングをしながらも、人生を考える時間が与えられ、特に心にあったのが「勝ち負け」ということだった。自分がこれまで必死にやってきたボクシングの世界にある「勝つことが正義だ」ということがむなしく思え、哲学書などを読みあさったという。
そして、「人は何のために生きるのか」と思い始めたときに出会ったのが、マザー・テレサだった。マザー・テレサに出会ったことにより、「人間は人を愛するために生まれてきた」ことに気付かされた。自分がボクシングの練習で水も制限され、飢え渇いて苦しんでいることも、自分のためではなく人のためなのかと思い、マザー・テレサに惹かれていったという。また、インド・カルカッタの「死を待つ人の家」までマザー・テレサに会いに行き、頭の上に手を置いて祈ってもらった。しかし、「ここには自分の居場所がない」と感じ、その足で釈迦が悟りを開いた場所とされるサールナートに行った。そこで、同地では珍しいとされる稲妻が光り、その後日本に帰ってきて親鸞に出会い、僧侶になったことを明かした。
関野氏は、今年3月で牧師になって10年になる。学生時代はずっとバンドをやっていて、卒業後は就職せずに音楽で食べていくと家族にも宣言していたほど音楽に打ち込んでいた。ところが、大学3年の時に、ダウン症と心臓病を患う妹が、急性糖尿病で倒れ、日赤武蔵野病院のICU(集中治療室)に担ぎ込まれてしまった。医師からは覚悟するようにと言われ、悲しみのどん底にいたところに、新幹線に乗って牧師がやって来た。家族しか入れない妹のところに来て祈り、それから関野氏に手を置いて「大丈夫だから」と言い残し、帰っていったという。
その時、「何が大丈夫だ、医者はあと2、3日で死ぬって言っているじゃないか」と、仮眠室のベッドで、神への恨みつらみを紙に書きなぐりながら眠りに落ちたところ、朝、担当医が来て「妹さんは回復しました」と告げた。関野氏は「残念ながら」と前置きした後で、「あの時、牧師が祈ったから治ったとは思っていないが、牧師の言った『大丈夫だ』という一言で牧師を志した」と話す。「誰でも、生きていれば、愛する人を見送るなど危機に陥る。医者が現実的なことしか言えないときに、『大丈夫だよ』と言ってくれる人が必要だと思った」と語った。
関野氏は、3年前に行き詰まり、やはりインド・カルカッタの「死を待つ人の家」に行った。そこで少し働き、サールナートにも行ったという。そして、日本に帰って来たときに藤岡氏に出会った。「神も仏もいない時代に、神も仏もいるんだなって、それを信じている俺たちが皆さんの魂に救いを届けたい」と訴え、藤岡氏が、自作の曲を2曲披露した。藤岡氏は、「坊主バンドはコミックバンドで、どうやって笑いを取るかを常に考えている。なので内容は不謹慎で、お寺では呼んでもらえない」と会場を笑わせ、「自分を吐き出すことで見える未来を『どうだ』と聞かせる、皆さんには犠牲になってもらいます」とコミック感あふれる歌をギターで弾き語った。
一方、関野氏は、ビートルズの「レット・イット・ビー」に日本語の歌詞を付けて歌った。「レット・イット・ビー」をポール・マッカートニーが作ったのは、ビートルズが解散する直前で、当時、人間関係はめちゃくちゃで、精神的にも追い詰められていたポールが、自分の母とキリストの母マリアをだぶらせて作った歌だと紹介した。続いて、ロック調の歌「アーメン」を披露した。あるライブでこの歌を歌ったときに、「初めて『アーメン』と言った、救われました」と言った人がいたことを伝え、「今日もこの中で救われる人が一人でもいればと思う」と力を込めた。
藤岡氏は、昨年末テレビに出て、いろいろな宗派の人が集まり、クリスマスライブを行ったことを話した。「例えば『アーメン』とか違う宗派の言葉を言うと、怒られるということがあって、そういうのはどうなのかと思う」と発言があった後、関野氏は自身の教会の信者の母親が亡くなったときに、その母親が仏教徒で藤岡氏に葬儀をお願いしたことを明かした。また、藤岡氏が、教会のクリスマス礼拝に訪れたことを話し、「聖書では、イエス様に最初に会いに来たのは異教徒の博士たちだった。藤岡さんが教会に来てくれることで教会が本当の教会になる」と話した。
また、ある時教会にホームレスの男性が来て、行き過ぎた行為に少し腹を立てた関野氏が、坊主バーに行き、藤岡氏にそのことを話すと、藤岡氏から「それってイエス様じゃないの?」と的を得た答えをもらったことを明かした。藤岡氏は、「坊主バーにはそれこそいろいろな人が来る。そんな中で感じるのは、最悪だと思える人ほど見逃してはいけない何かがある」と話した。そして、親鸞の『歎異抄』を引用しながら、人間の危うさを語った後で、逮捕された朝を歌った「犯罪の朝」を、ギターだけでなくハーモニカも使って歌い、生きていくことの泥臭さを伝えた。
関野氏はドメスティクバイオレンス(DV)で苦しんでいた少女について歌い、「助けて」と駆け込める場所の大切さを訴えた。続けて「牧師ROCKSのテーマ」を歌い上げ、「牧師はロックだぜ!」と会場を盛り上げた。最後に2人は「アメージンググレイス」を演奏した。関野氏の歌に、藤岡氏の幽(かす)かな読経が重なり、宗派を超えた2人の信仰が美しく響き合った。
講演会に参加した同大学の女子学生(1年)は、「違う宗派の宗教家が一緒に何かを行うことは、とてもまれなことだと思う。歌を通して貴重な体験ができてよかった」と語り、同じく男子学生(2年)は、「宗教間の対話についてはいろいろな意見があると思うが、今日の講演会のような取り組みはとてもいいアイデアだと思った。2人の歌もとてもよかった」と感想を話した。