第3回「マイノリティ問題と宣教」国際会議3日目の11月20日午前から始まった二つ目の全体会では、「差別に立ち向かう教会」と題して、世界教会協議会(WCC)、ドイツ、米国、南アフリカからの発題者が、それぞれの経験を語った。
1.ディナバンドゥ・マランチャ牧師・博士「WCCの人種差別およびその他の差別に対する取り組みから学べること」
初めに、WCC「公正で包括的なコミュニティー」の元プログラム・エグゼクティブ(幹部)で米国合同キリスト教会海外宣教南アジア地域担当幹事のディナバンドゥ・マランチャ牧師・博士(=写真左)が、「WCCの人種差別およびその他の差別に対する取り組みから学べること」と題して発題した。
インド出身の神学者であるマランチャ博士はまず、現代におけるエキュメニカル運動における人種差別やその他の差別に対する取り組みの概要を振り返った。その中でマランチャ博士は、WCCが「人種優越主義と闘うプログラム(PCR)」を通して南アフリカのアパルトヘイトやその他の差別、排除に抵抗するコミュニティーや運動に協力し、1994年以降にPCRが協議事項から消えた後も、2001年に発足したキャンペーン「すべての暴力を克服する10年」の精神やアプローチに共鳴する「人種差別の克服」の一つとなり、2006年のブラジルのポルトアレグレ総会の後、「公正で包括的なコミュニティー」に委員会を創設したと述べた。
マランチャ博士によると、この委員会は、先住民族、ダリット(カースト制度外の不可触民)、障がいを持つ人々、移民にならざるを得なかった人々などへの反差別に取り組む人々のネットワークや資源をつなげ、教会が公正かつ包括的なコミュニティーになるよう、またそうしたコミュニティーに影響を与えられるよう目指して取り組んでいったといい、そうした声は2012年のWCC宣教声明「いのちに向かって共に(Together Towards Life)」にある「周縁からの宣教(Mission from the Margins)」の項にも見ることができるという。
また、「差別主義へ向かうような思想は神に対する冒涜(ぼうとく)であること、またそれは神の名において全ての人が平等に創られているという信念からかけ離れた思想であること、そうした人の苦しみは全て神の思し召しに反することを、WCCは加盟教会に訴えていきました」と述べ、「その訴えは、人種差別および同じような差別思想に反対していく活動が、どの教会にとっても緊急かつ共通の課題であることを示したのです」と付け加えた。
その長きにわたる「尊い活動」が残した教訓のうち特筆すべきものとして、第一に、「正義と尊厳を全ての人々―特に社会的、経済的、政治的な構造や文化によって人権侵害を受けている人たち―に対して保障することが、キリスト教会の使命です。その使命を果たすことで、神の正義が不当な構造および文化に虐げられている人たちをとりわけ手助けしている正義であることを示すことができます」と述べた。また第二に、「人種差別やその他の差別、言い換えれば不当な理由による人々の苦しみに向き合ってきたこの闘いが、教会が共に働く上での結束を強めていきました」と語った。そして第三に、「このことは引き続き教会がさまざまな差別に対抗していくだけでなく、文化や宗教の垣根を越えた支持や理解を集めるための努力を惜しまず、こつこつ続けることの意欲につながっていったのです」と説明した。
差別に対するエキュメニカル運動の今後の方向性については、「新旧さまざまな形や表現を持つ差別に抵抗していくに当たって、私たちの教会がますます指導的な役割を果たさねばならない」とした。
マランチャ博士は、「教会に属する私たち」の課題や可能性として四つの項目を挙げた。一つ目に、「人種差別や他の差別が避けようのない文化的影響によるものだと許され正当化されている状況下においては、教会はその存在、選択、行動を通して、どのように新しい対策を始められるでしょうか? また、私たち自身と密接につながっている文化を私たち自身が克服し、その文化によって虐げられている人々を助け出すにはどうしたらよいでしょうか?」と問い掛けた。
二つ目に、どのようにして無慈悲な搾取と不正な制度に反論し抗議していくべきかを挙げた。三つ目に、自分たちとは異なる外部の人々を「その他」に分類していく考えに対しては、信仰共同体のみが向き合って対処でき、変化を起こしていけるのだと思うと語った。四つ目に、「私たちが協調性を持ち、柔軟に、賛美されるような信仰と行動の視野を広げていくにはどうしたらいいのでしょうか?」と問い掛けた。
最後にマンチャラ博士は、「今が新しい動きを始める時です。公正で排他的でない新しい世界を迎える時です。全ての被造物の中に存在する神を受け入れ、人間の一体性と相互関係性を評価する新しい霊性を考える時です。ますます排他的になり不正が蔓延(まんえん)していく世界を、教会が変える時です」と結んだ。
2.ガブリエレ・マイヤー博士「ドイツからの観点と展望」
次に、ドイツの「連帯する福音主義宣教会(EMS)」女性とジェンダー主任のガブリエレ・マイヤー博士が「ドイツからの観点と展望」と題し、ナチス・ドイツのホロコースト、大虐殺後の「どん底を乗り越える途上にある」自らの観点について発題した。
マイヤー博士はまず「断片的な観点」として、「今回私が明らかにできることは、ドイツの国家社会主義が他の国々と自国の少数者にもたらした途方に暮れるような破壊に対して、ドイツのキリスト者、また教会がどのように取り組んでこようとしたかということだけです」と述べた。
1994年に米国で神学の研究を続けていたとき、ユダヤ人の学生たちと出会ったことで「ホロコーストと関係のある私の家族の歴史に感情的な安定を見いだすことができた」というマイヤー博士は、「これが原点となって、『ホロコースト以後のドイツ人女性の宗教教育』の研究と論文執筆をすることになりました」と話した。
マイヤー博士は、アウシュビッツで撮影された5枚の写真をスクリーンに映して説明した後、「兄弟姉妹を迫害し、消滅させる国家社会主義」について、ヨーロッパのユダヤ人人口、ジプシー(シンティ・ロマの人々)の迫害と抹殺、同性愛者の迫害と犯罪化と、それらに対する教会の反応に焦点を当てながら述べた。
マイヤー博士によると、1945年にユダヤ人に対する殺害計画の全貌が少しずつ明らかにされ、ルーテル教会の資料では、「全体で560万人のユダヤ人が国家社会主義の人種偏見の犠牲者となっている」という。これに対し、ドイツ福音主義教会連盟(EKD)は同年10月に「罪責宣言」を表明したが、表現方法としては1940年に出されていたボンヘッファーによる告白のほうがより明確なものだったと、マイヤー博士は指摘した。
その後、EKDは1950年に、より明確な形で「ユダヤ人問題」に関する公式声明を出したが、反ユダヤ主義が神学と教会の考えに深く根ざしていたため、キリスト教会とユダヤ教会の100年にわたる対立への取り組みには数十年を要した。一方、新たな対話への扉を開いた人々がおり、1958年に「行動・償いの印・平和奉仕」という組織が設立され、ナチスの歴史の爪痕と対峙することで国際理解を求めていったと、マイヤー博士は語った。
1977年には、プロテスタント教会会議(キルヒェンターク)において、ドイツの神学者、エーバハルト・ベートゲが、「私たちの神学はホロコースト以前と同じであってはならない」と明言し、多くの神学者が「アウシュビッツ以後の神学」の再考に寄与した。2006年に発行された『言葉のみによる聖書翻訳』という本は、聖書の基本的なテーマである「正義」が、キリスト教徒とユダヤ教徒の対話における考え方に影響していたので、反ユダヤ主義においては非常に慎重に考えられなければならないトピックであると見なされていたという。
50万人ほどが組織的大量虐殺の犠牲となったジプシーの迫害と抹殺については、ナチス政権下にあったドイツの教会が沈黙を続けたが、1990年代に日本に招かれて部落解放センターの働きについて学ぶことができたビュルテンベルクの福音ルーテル教会の教会会議のメンバーが、「バーデン・ビュルテンベルク州シンティ・ロマと教会の特別委員会」を創設。これがジプシー差別問題に対する同州の四つの教会の協力関係の始まりとなって、その事務局はEMSがその働きの一部として担っているという。
さらにマイヤー博士は、同性愛者の迫害と犯罪化について、およそ8000人の同性愛者の男性がナチスによって殺害され、数えきれない人数の同性愛者の女性が「反社会的」と見なされて強制収容所に監禁され、収容所の売春婦として働くことを強いられたと述べた。
これに対し、2015年6月、ドイツのシュトゥットガルトで行われたプロテスタント教会会議の大会初日に、議長のアンドレアス・バーナー氏は、1933年から1945年まで教会が同性愛者を社会的に排斥する役割を担っていたことを正式に認めたという。
最後にマイヤーズ博士は、「幾つかの『教訓』」として以下の点を挙げた。
- どん底を乗り越えて和解の橋を架けることは何十年もかかる課題で、数世代にわたって取り組まれていく必要があるということ
- 根強い偏見と数百年に及ぶ憎しみは、さまざまな形で器用に紐(ひも)解かれながら明らかにされ、解決されていく必要があること
- 神学概念を解体批評し、信仰体系を揺るがすことは、反ユダヤ主義と正面から対峙することによって『解決手段』に寄与しようとしている成熟したキリスト者には、決定的な限界をもたらしつつあるということ
- 教派を超えた兄弟姉妹による、持続的で魅力的な交わりは、ドイツの教会が前進するのを後押ししたということ
- 他の主流な教会では人々が真理により近く、差別という社会的な現実に目を配らせてきたということを認識する中で、謙虚になり正直になる必要があるということ
- 中枢から外され、差別されている人たちのために声を上げることは、キリスト者としての真の信仰告白であるということ。たとえそれがイスラエルにおける人権侵害に的を絞ることを意味するとしても、それはドイツの教会の指導者や政治家にとっては挑むべき事柄であるということ
- 罪(具体的な行動に関係)と恥(他者と共有する集合的感情)と責任(和解のための新しい道の探求において)を識別すること
その上でマイヤー博士は、罪と恥と責任について、「この3点は、特にホロコースト以後の二世代後、三世代後、そして四世代後の人々にとっても、挑戦的なことです。これまで、個人でも、そして家族でも、人々は隠された歴史を紐解いていき、会衆や教会として、最初の世代の人々は沈黙から学習過程へと、第二世代の人々は途絶状態から学習過程へと、それぞれが一歩を踏み出してきたのです」と結んだ。
3.ロビナ・マリー・ウィンブッシュ牧師(米国長老教会エキュメニカル関係担当補佐)「不和を正す者」
次に、米国長老教会のロビナ・マリー・ウィンブッシュ牧師が「不和を正す者―米国教会の人種差別への取り組みに関する簡潔な調査―」と題して発題した。
アフリカ系アメリカ人の女性であるウィンブッシュ牧師はまず、人種優越主義の社会学的な定義に言及した上で、「限界のある社会構造に影響を与えるための偏見に権力が加わったものが人種優越主義である」と述べた。
ウィンブッシュ牧師は、米国におけるアフリカ人や先住民族に対する人種差別について簡単な歴史的概観を行った。体系的な人種差別をなくし、公正な共同体を作ろうとする教会やクリスチャンの例として、合同メソジスト教会、アメリカ合同キリスト教会、監督教会や南部バプテスト教会、米国長老教会、米国キリスト教会協議会、黒人のメソジスト教会、サミュエル・デウィット・プロクター会議、米国友和会、モラル・マンデー運動などを挙げたほか、必ずしも教会関係ではないとはいえ、法的に認められない殺人に反対し被害者遺族への正義を要求する「Black Lives Matter」運動にも言及した。
その上で、癒やしと和解への先駆けとしての正義について、「歴史的な傷を癒やすことは、人々の生命や尊厳に対する継続的な攻撃への対処なしには達成できないと考えられています。自らの偏見や、不当なシステムとの連携性を理解させる手助けをするという課題はまだ残されています。また、最も直接的な弾圧や抑圧に影響されているコミュニティーには、そうした抑圧や、その抑圧に対する生産的な抵抗方法を外部の力に頼りすぎず、自分たちの問題として捉えて考えていかなければならないという課題もあります」と語った。
さらに、「支配的な文化を背景に持つ米国のキリスト教会は、天においても地においても同じように神の意志がなされると祈りながら、『不和を正す者』として、神との契約のためにどう尽くすのが最善なのか、葛藤しながら闘い続けています」と語った。
ウィンブッシュ牧師は、「一部の教会は『和解』と『ただとりあえず仲良くやっていく』ことに目が行きがちですが、人種間の和解は人種間の公正性抜きには考えられません。各コミュニティーが人種間の平等を目指すために結束するとき、歴史的な傷の深層を暴いて不和を癒やす機会は訪れ、人々の間に新たな関係性が生まれてくるのです」と結んだ。
4.デービッド・ピーター・カールス牧師(南アフリカ合同改革教会)「心の嘆き:民主的な南アフリカの公正な共生社会を夢見て」
最後に、南アフリカ合同改革教会(URCSA)のデービッド・ピーター・カールス牧師が「心の嘆き:民主的な南アフリカの公正な共生社会を夢見て」と題して発題した。
カールス牧師は初めに、ステレンボス大学(南アフリカ共和国)の組織神学者であるダーク・J・スミット教授による説教を引用し、それがアパルトヘイトの時代の苦難や絶望、屈辱の経験から話されたものであり、同教授が主だった起草者とされているオランダ改革派宣教教会(DRMC)の信仰告白の草案が、ペトロの手紙一3章15~16節をガイドラインとした理由は、DRMCが自らの苦難と嘆きを、ペトロが手紙を宛てている小アジアの人々の苦難と嘆きに見いだしたからだと述べた。
その人々とは、「排斥されている人々、遊離されている人々、追放されている人々、軽視されている人々、無価値とされている人々、除外されている人々、迫害されている人々、尊厳を認められない少数の人々、嘲笑の被害者、困窮者、受難者の人々のことです」と説明した。
「1982年の信仰者たちは、ペトロが預言している生きる希望を抱きながら、承認への切望と、公正な共生社会への夢を結び付けたのでした。この望みは彼らの中で生き、そして彼らの心と魂の中に生きました」と、カールス牧師は述べた。
その上で、「このことは、在日大韓基督教会でも同じことが言えるでしょうか」と問い掛け、「今回の会議で求められることは、傷ついた私たちの命と全世界の現実を覆う、神の解放と癒やしの愛が持つ、創意に富んだ可能性を基盤とした、慎重な判断と大胆な聖書解釈に基づいた選択を反映することだと思うのです」と語った。
人種差別とアパルトヘイトの遺産については、南アフリカ共和国における憲法の採択と真実和解委員会(TRC、委員長=デズモンド・ツツ大主教、後に名誉大主教)による公聴が国の人種的不一致の全てに終止符を打ったか否かという問いに対して、複数の学者が異なる結論を出していることを指摘した。「アパルトヘイトの遺産は健在で、否定することはできないのです。アパルトヘイトの遺産として、人種差別の程度はいまだに非常に高いのです」などと述べた。
人種差別に立ち向かうURCSAとオランダ改革派教会(DRC)の共同の行動にも言及し、両教会が学問的、神学的なプログラムや他のプログラムを通して、教会のあらゆる形態および社会のすべての構造の中で、建設的に人種差別に立ち向かう共同の研究プロジェクトに着手したことを紹介した。カールス牧師によると、その目的は「人々の人間の尊厳を回復し、癒やしと和解をもたらすために教会を援助し、必要な力をつけること」にあるという。
最後にカールス牧師は、ヘイトスピーチについて、アパルトヘイトから民主主義への変遷が1994年の南アフリカの政治変革と1996年の憲法制定によって起きたことを説明した。
ヘイトスピーチの憲法上の枠組みについては、言論の自由に関する同憲法第16条に焦点を当てつつ、憲法に内在する制約が、南アフリカに住んでいる全ての国民およびその他の人々に、ヘイトスピーチが許容されるものではないという明確なメッセージを伝えているという、クリスティア・ヴァン・ウィク教授(南アフリカ大学、比較法学)の主張を紹介するとともに、南アフリカが憎悪的唱道を憲法上の保護から厳しく取り締まるために、ヘイトスピーチを解決する効力を持つ南アフリカ人権委員会と平等裁判所を設立したことを伝えた。
カールス牧師は、南アフリカの平等促進・不当差別防止法の第10条を引用し、同法に規定されているヘイトスピーチの禁止が、「憲法の第16条第2項cに含まれているヘイトスピーチの規定よりも大胆であることが明確に分かります」と述べた。その上で、「従って、あなたがたの助けをもって、政府に『南アフリカにはもうヘイトスピーチがない』と憲法やその後の法律に書くよう確信させることができたことを、南アフリカの教会はとてもうれしく思っています」と結んだ。