第3回「マイノリティ問題と宣教」国際会議初日の11月18日に行われた開会礼拝のメッセージで、ジーバジーズ・モル・クリロス主教・博士(シリア正教会)は、人種差別という文脈の中で、「あなたがたは地の塩である」(マタイによる福音書5章13節)について語り、「塩は命、信仰、献身を意味する。私たちの命そのものであり、私たちのアイデンティティーや使命、特にマイノリティーの共同体としてのアイデンティティーや使命である」と塩に着目。「塩は命を肯定し、命を脅かすものを拒む」「塩は自らを無にする」と述べた。
同主教は、「マイノリティーの共同体の窮状は、国家そのものが弾圧的・ファシスト的であり、人々、特にマイノリティーの共同体に優しくないとき、最悪の状況になる。数々の例が多くの国にある。マイノリティーの共同体は、人権や正義に関わる市民社会の新たな取り組みに参加しなくてはならない。教会は市民社会とよく対話する必要がある。『あなたがたは地の塩である』と言ったとき、そのような参加が求められているのである。社会正義や変化の担い手となり、(塩が味を付けるように)命の尊厳を守り、周縁化された共同体の中に真の教会を見いだすことを通じて、この世に仕えるよう、私たちは呼ばれている。換言すると『塩』という言葉には、人間性や尊厳のために闘う人々に加わりなさいという、命令あるいは招きのイメージが伴われている」と説いた。
その上で、「それは宣教の招きである。それは周縁からの宣教を実践し、周縁化された人たち、人種差別のような悪のシステムの被害者たちが、すでに命を肯定するという神の宣教の担い手にとって代わった周縁にあるようにとの招きである」と付け加えた。
同主教は、「友人たちよ、しばらく間をおいてこう問い掛けてみよう。『私たちは本当に今日の文脈における地の塩なのだろうか? もし本当にそうなら、私たちは味を失ってしまったのだろうか?』」と話した。さらに、「人種差別や少数者に対する迫害のような不正義のただ中で沈黙し、受け身的で中立的な教会は、味を失ってしまった塩のようである」と厳しい言葉を投げ掛け、「だから、私たちは地の塩になろう」と呼び掛けた。
終わりに同主教は、2013年に韓国の釜山で開かれた世界教会協議会(WCC)第10回総会の主題だった、「いのちの神よ、私たちを正義と平和へと導いてください」との祈りでメッセージを結んだ。